
職場で何かと酷いことを言われます。そろそろ我慢の限界なんですが、良い大人が感情的に相手に意見するのも恥ずかしいです。

とはいえ、上手な言い回しも思いつかず、相手と喧嘩するのも嫌なので、結局我慢するしかありません。
何か良い方法はありませんか?

それは良くない傾向ですね。ストレスはバケツの水と一緒で、溜まればやがて溢れます。その溢れた時、うつ病などの心の病を患ってしまうのです。
日本では「我慢できる人ほど立派」「感情を出さない人が大人だ」と言われがちです。
しかし、我慢を続けた結果、心を壊してしまう人が後を絶ちません。
私が以前勤めていた心療内科でも、
理不尽な環境に耐え続けた末、うつ病を発症した成人が数多く来院していました。
この記事では、
なぜ「我慢」は美徳ではなく、心を壊す原因になり得るのか
現場で見てきた事実をもとに解説します。
- 我慢することで心身に起こる重大すぎる弊害
- 我慢せずに意思表示することの大切さ
日本では「我慢=美徳」と教えられてきた
日本社会では昔から、
- 感情を表に出さない
- 反論せず耐える
- 空気を読む
といった姿勢が「人格的に優れている」と評価されてきました。
しかし、それは誰にでもできることではありません。
人には生まれ持った気質があり、無理をすれば必ず歪みが生じます。
周囲と強調して社会に適応する能力というのは確かに大切な側面ではあります。
しかし、だからといって、なんでも理不尽に耐える必要などないのです。
心を壊してしまう多くの人は、そうした耐えるべきことと我慢してはいけないことの区別がついていません。
自分にとって守らなければならない本当に大切なことは、我慢せずに正面から立ち向かう勇気を持っていいのです。
本当に大切なこと、それは自分自身の価値観が傷つけられた時です。
価値観とはその人が人生で培ってきた全て。言うなればその人そのものです。
それを否定されると、人は必ず傷つきます。そして怒りを覚えるはずです。
価値観を傷つけられても我慢を強いられ続けると、うつ病などの心を壊す結果になることはもちろん、どんどん自尊心を失っていくのです。
その結果、常に自信のない生き方をしていくことになるのです。
かくいう私は家族のことを傷つけられたら迷わず相手に反撃すると決めています。
家族の悪口を言われたら、相手の心を壊す勢いで反撃します。
そうすることで、相手も「そうか、この人はこういうことが許せないのか」と理解し、2度と同じ地雷を踏んでこなくなります。
必要に応じて、時に戦う勇気が、あなたの大切なものと、あなた自身を守ることになるのです。
ここでは、やり返すからまたやられる。のではなく、やり返さないからまたやられる。というこの世の摂理を理解しておきましょう。
ちゃんと意思表示する勇気を持てば、我慢する生活から必ず解放されます。
我慢しすぎる人ほど、心を病みやすい理由
心療内科に来院していた患者に共通していたのは、自分を後回しにし続ける姿勢でした。
それは良くも悪くもです。
前述したように、我慢とは自分を押し殺して相手に合わせる行為そのものです。
それはつまり、自分に嘘をつき続ける行為でもあります。
私はよく、患者にこう話していました。
自分に嘘をつくというのは、心の自傷行為と同じである。と。
人間の心と体は密接に繋がっています。
体が相手に合わせて不本意なことをし続けると、心が必ず疲弊します。
これは人間なら例外なく皆同じです。
話し上手で、相手に合わせるのがとても上手い人がいますよね。一見して彼らは非常にコミュニケーション能力が高いと思われがちですが、実際に本当の意味で上手な人は全体の2割程度というのが私個人の肌感覚です。
残りの8割は内心で確実に疲労を蓄積していっています。
好きでもないものを好きと言い。嫌いでもないことを嫌いと言う。
こんな自分に対する嘘が健康なわけがありません。脳はそういった不協和な状態にいつまでも耐えられるような丈夫な構造にはなっていないのです。
では残りの2割の人はなぜ、相手に合わせても心的ダメージが薄いのでしょうか?
それは心に明確な線引きができているからです。
例えば自分よりも劣っていると思う相手に対しては、腰が低くなりやすいですし、相手を会話で気持ち良くさせることができる余裕が生まれます。
つまり、良い意味で相手を見下していると言うことです。
「自分と相手は違う」と言う事実をはっきりと理解しているのです。
別のケースではその場限りのキャラクターを演じている人もいます。職場では職場の、友人とは友人用の、それぞれキャラクターを設定して使い分けている人もいます。
これも本当の自分を相手に隠していると言う意味では、自分に嘘をつく行為とも言えますが、この方法は何があっても自分本体はほとんどダメージを受けないという利点があります。
作った自分の、作ったセリフや、作った行動によって、相手から批判されたところで、作った自分しかダメージを受けないのです。
本当の自分は違うところにあるので、自分が作った心のアバターだけが傷ついているに過ぎないからです。
ここが自分を曝け出した上で傷ついている人との違いでしょう。
メンタルが強い人というのは、こうした自分なりの防御術を身につけているものです。
ここでは我慢とは自分に嘘をつく行為であるということ、それは心の自傷行為に等しいということ、そしてそれはいつまでも脳が耐えられるものではないということを覚えておきましょう。
優しすぎた元教員の男性
私が心療内科で勤務していた当時、こんな患者がいました。
自分を殺して、我慢し続けた結果、重度のうつ病になり、社会復帰が困難になってしまった人です。
彼は教員でした。
学校でいじめが発生し、問題の処理を行わなければならなくなったのですが、保護者・子供・学校からの不満をすべて受け止めようとした結果、心を病んでしまったのです。
それでも彼は、
「自分が力不足だった」と自分を責め続けていたのです。
彼はうつ病になり、社会に戻ることもできずに、経済的な理由から家族とも離婚せざるを得なくなり、大切な家族を失ってなお、まだ自分が悪かったのだと責め続けていたのです。
わかりますか?
我慢が当たり前になってしまった人は、自分が被害者であるという自覚すら、薄れていってしまうのです。
第三者から見れば、子供からも保護者からも、学校側からも、都合のいい吐口にされていただけだと誰が見てもわかる状況でしたが、それにすら彼は気づくことができなかった。
優しすぎる、という言葉で片付けるにはあまりにも愚かと言わざるを得ません。
その結果本当に大切な自分の心身と家族を壊してしまっては本末転倒であるのに・・・
ですがこれは決して珍しい話ではありません。
こうした状況は学校や職場などのいじめやパワハラなどで非常に良くある場面でもあります。
いじめを受けている当事者は、自分が被害者であるという自覚がなく「もしかしたら自分が悪いのかもしれない」と、今の辛すぎる状況を否認したいあまり、相手に対して抵抗するのではなく、自分自身を説得し始めてしまうのです。
そう、自分にはいじめられるだけの原因がある。今の状況は自分自身が招いたことで、仕方のないことなのだ。と。
こういう思考に陥ると、修正にはかなりの時間を要します。
自分自身で自分を洗脳した人は、他人から洗脳を受けた人よりも何倍も思考の定着率が高いからです。
ここで伝えたいのは、我慢し続けた結果どういうことになるのか、そして、我慢し続けることで自分自身にどんな心境の変化が起こってしまうのかということです。
もし、思い当たることがあるのであれば、今一度、自分に問いかけてみましょう。
「自分は本当に被害を受けて当然の人間なのか?」と。
我慢は怒りを自分に向けさせる
「学習性無力感」という言葉があります。
学習性無力感とは、「何をしてもどうせ無駄だ」と感じて行動や意欲が低下してしまう心理的な状態を指します。
逃げられない、でも改善もできない。そんな八方塞がりな状態が続くと、人間は足掻くことをやめてしまうのです。
その結果、人の防衛本能は、周囲の環境ではなく、自分を変えよう、適応させようとします。
それが先にも説明した、「自分が悪いんだ」「攻撃されても仕方ないのだ」と思い込もうとする行為につながるのです。
本来、理不尽に向けられるべき怒りを我慢すると、
その矛先は自分自身に向かいます。
- 自分が悪いと思い込む
- 自己否定が強くなる
- 自己肯定感が下がる
こうして、うつ病や不安障害につながるケースは少なくありません。
一度壊れた心は、元には戻らない
あなたは「心が壊れる」という状態を正しく理解できていますか?
これはほとんどん人が本質的に理解できてはいません。
理解できているのは、実際に経験した人間や、そう言った人間を対象に関わってきたセラピスト、身近な人が心の病になり苦労した経験者などです。
まず結論から言いましょう。
心は一度壊れると2度と元には戻りません。
もちろんうつ病は適切にケアすれば症状は緩和されていきます。
社会復帰した人もたくさんいます。
ですが、それはあくまでも大火事がただロウソク程度の大きさに小さくなっただけで、根本的な治療にはなっていないのです。
なぜならうつ病などの心が壊れる、心が傷つくと言う状態は「紙」に例えることがあります。
目の前に白い白紙があったとしましょう。コピー用紙をイメージしてください。
その紙に何か一つ暴言を吐いて、その度に紙を折り曲げていきます。
また一つ、暴言を吐き、また紙を折る。これを繰り返します。
最後に「ごめんね」と言いながら折り曲げたその紙を元の大きさに広げてみてください。
折れ目は消えていますか?
大きさこそ元の大きさに戻りましたが、一度ついたシワや折れ目は残ったままのはずです。
そう、心もこれと全く同じなのです。
散々傷つけても謝ればそれで全てが元通りなわけではありません。
傷つけられた側は、その痛みを一生涯引きずることもあります。
いじめがこの典型的な例です。
あなたが過去にいじめた人は、あなたことを決して忘れることはありません。
いじめを受けたあなたが加害者のことを忘れることもできません。
いじめによって受けた傷というのは非常に深く、心に刻まれます。
そしてそれによって自分に自信を持てないまま、消極的な人生を送ってしまう人もたくさんいます。
いじめを始め、他人を傷つけるという行為がどれほど罪が深いか、お分かりいただけるでしょうか。
他人の人生を大きく変えてしまうほどの罪。
心が限界を超えて壊れてしまうと、
- 挑戦する意欲が湧かない
- 無難な選択しかできなくなる
- 人との衝突を極端に避ける
といった影響が、その後の人生にも長く残ります。
しかしこうした結果を想像できない人が世の中にはあまりにも多くいます。
だからこそ、壊れる前に立ち止まることが重要なのです。
自分の心を守る術を身につける必要があるのです。
ここでは身体的な傷はやがて完治します。しかし心についた傷は一生涯消えることはないということを理解しておきましょう。
感情を出せないことは、美徳ではない
感情を表に出さず、常に冷静でいられる人は確かに存在します。
しかし、それは生まれ持った性格であって、努力で誰もがなれるものではありません。
怒りやすい人、泣きやすい人もまた、同じ人間です。
それを否定する社会の方が、歪んでいます。
なのであえて繰り返し言いましょう。
「我慢なんてしなくていい」
理不尽には抗議したっていいし、傷ついたなら態度に示したっていい。
被害者でありながら体裁を取り繕おうとしなくていい。
器が小さいと言われようが、人間として未熟と言われようが、社会に無視されようが、別にそれでいいのです。
たった一度の人生、自分が壊れてしまうよりずっとマシだと、なぜ誰も気づけないのでしょうか?
そうまでして社会に認められることが、そんなに重要なのでしょうか?
心が本当に強い人は自分の中の感情もしっかりと表出できる人のことを言います。
もちろん激情に任せてなんでも相手に突っかかればいいわけではありません。
節度を持ちながらも、自分の意思をはっきりと伝えることが大切なのです。
「私は怒っています」「私は傷つきました」と。
言わなくても相手はいつか察してくれるだろう、とか。
きっといつかこの嫌がらせも終わるだろう、とか。
相手がいつかあなたに優しくなるなんて幻想はやめましょう。
相手に期待する分あなたの傷が深くなるだけです。
自分から行動に移さない人間に、そんな都合の良い「いつか」は絶対に訪れないものです。
ここでは意思表示を恐れない勇気を持つ、その大切さを理解しましょう。
終わりに
- 我慢は必ずしも美徳ではない
- 我慢しすぎると、怒りは自分に向かう
- 心が壊れてからでは遅い
- 感情を出すことは弱さではない
もっと、怒っていい。
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