子供の育児休暇を取ろうか、迷っています。
令和3年の法改正によって男性の育児休暇も取りやすくなりましたからね。私も7ヶ月以上も取得することができました。
は、半年以上も取れたんですか⁉︎
はい、最長で1年は取ることができます。色々条件はつきますが。
実際に取ってみてどうでしたか?
個人的には非常に貴重な体験でした。子育てというものをこれほど集中的に取り組む機会はもうないと思いますので。
法律が改正され、男性の育児休暇が取得しやすくなったことで、筆者の周囲でも男性が長期間育児休暇を取得する例が増えました。
それでも世の中には、会社の都合上なかなか長期間休むことができなかったり、育児休暇そのものに興味関心のない男性もまだ多くいますよね。
男性の育児休暇が義務化されれば良いのですが、それはまだ当分先のことになりそうです。
そこで、今回は筆者である私が、育児休暇を取得して感じたことや気がついたことをまとめてみたいと思います。
今回の記事を読むことで
- 男性がなぜ育児休暇を取る必要があるのか
- 男性が育児に本気で取り組んでみて分かったこと
- 男性が育児休暇を取って良かったと思うこと
を知ることができます。
今後出産を控えている女性には是非旦那様と一緒にみていただきたい記事になっております。
夫として、私が育児休暇を取った理由
私が育児休暇を取ると決意できたのは、家庭内における男性の役割を持ちたいと思ったからです。
母子の関係は「愛着理論」によって健全な発育に必要不可欠なものとされ、イギリスのジョン・ボウルヴィがそれを証明しています。
ですが父親はそうではありません。精子を提供した後は、生物学上あまり重要ではないからです。
悲しい事実ですが、男は望んでも本当の意味で育児の主役になることはできないのです。
なぜなら「愛着理論」が、子供にとって父は母の代わりにはなれないと証明しているからです。
つまり、その気になれば不要な存在という位置付けが、今の父親という存在なのです。
現代の男性の中にも「育児は女性がするもの」という価値観の男性もいます。
それ自体は、人それぞれの価値観なので良いも悪いもありません。
もとより、男性という生き物は、狩猟民族であった時代には育児においてさほど必要とされていませんでした。
小動物や植物類などの最低限の食料の確保であれば、当時の女性たちだけでも十分に成り立っていたからです。
しかし農耕民族に発展すると、地域や集団でのルールや掟がつくられ、社会が生まれたことで、そこでの生き方を子供に教育することが男の役割となっていきました。
ですが、時を進めて近代化が進むにつれて、男は工場など国の発展のため、家庭から離れざるを得なくなります。
こうして男は育児から離れ、仕事に従事する文化が始まったのです。
そして令和時代。男が働き、女性はその収入で家計を守る、という従来型のスタイルは少なくなりつつあります。
女性の社会進出に伴い、(経済的な困窮の問題こそありますが)国からの補助も含めて、育児を女性の経済力だけでも成立できる家庭が増えたためです。
そこで、私はこう思いました。
経済面でも不要となりつつある令和の時代、男の役割って何でしょうか?
ということです。
よく育児中の女性友達と会話をしますが、決まって「子供がいれば良い」「旦那はぶっちゃけいらない」という声が本当に多いことに驚かされます。
一体どんな罪を犯せばそのような罵詈雑言が飛んでくるのでしょうか・・・(笑)
おそらく悪いことは何もしていません。むしろ何もできていない。
つまり生物学的に、子供にとって母親以上に大切な存在になれないからこそ、父は真に必要とされていないのです。
今後、家庭を持つ世の男性たちが、生活費を家に入れるだけで、夫として、父親としての立ち位置を維持できるのでしょうか?
私はこの点において、男の存在価値を憂慮しております。
今一度、この存在価値について真剣に向き合う必要があるのです。
丸1日、育児をしたことで気づいたこと
男性の皆さん、丸一日育児をしたことがありますか?
「妻は一日中家にいて良いなぁ」
ストレス社会で働く多くの男性には、一瞬でもこのような言葉が頭をよぎった経験があるのではないでしょうか?
女性は産休と育休を合わせて長期間仕事を休み、育児に集中することができます。
会社での人付き合いなどの、余計な対人関係がないという意味でのストレスフリーはあります。
が、私が丸一日育児をした際に気づいたことは
「あれ⁉︎全然自分の時間が作れない・・・‼︎」
でした。
正直これは予想していませんでした。
「いやいや、いくらなんでも少しくらいあるでしょ!」
という声が聞こえてきそうですが、私が「時間がない」と感じたのは、その実用性です。
たしかに、子供が寝ている合間は唯一手が離れます。
しかし、実際には30分も昼寝をしなかったり、寝ている隙に家事をしているとあっという間に子供の食事準備やおむつ交換がやってきます。
一人で遊んでいられないうちは、どうしても抱っこを要求されることが多く、手が離せません。
結果として自分が本当に集中したい実用的な連続時間というのは、就寝前のわずかな時間しかないのです。
事実、私は育児の片手間ブログを書いていますが、ただ書くのではなく論文や書籍などから入念なリサーチや勉強をする時間があります。
文章を構成したり、実際に集中して描き始めても2時間〜3時間はかかる。
子供を片手に抱えながら、相手をしつつできる作業ではないのです。
ちょっとしたドラマやテレビ鑑賞も同じです。
子供のことを考慮して刺激の強いものを避けたり、なるべく教育に良いものを見せようと親心が働けば、自分のみたいものなど全く見れません。
もちろん、子供を放って自分の好きなことをすることは簡単です。
しかし「少しでも子供と関わってあげたい」そう思えばこそ、暇な時間があればなるべく関わってあげようと考えてしまうものなのです。
そして子供はまだ言葉を喋ることができません。
子供は可愛いし、確かに寂しさはありませんが、言葉が通じない分「話し相手が欲しいな」と思うことがありました。
つまり言語的孤独です。
こういった一連の忙しさや感情というのは、実際にやってみなければ絶対に理解はできなかったろうと思っています。
そう言った意味では、育児休暇を通じて、私は世の「ママ」たちの説明しにくい苦悩や多忙さの一端を垣間見れたわけです。
男は出産の痛みこそ共感できませんが、育児なら共有することができます。
当事者意識を持って育児に参加し、パートナーの負担を身体的・精神的に軽減すること
これが私が「役割」と捉える育児参加の意義であります。
今後育児休暇を取れる男性は増えていくでしょう。
ですが、長期休みだからと浮かれてはいけません。
そう、我々が忘れてはいけないこと、それは・・・
我々は育児をするために休暇をもらっているということです。
育児休暇を取って良かったと思うこと
私が育児休暇を取って良かったことは大きく3つあります。
- 子供の一番可愛い時期を一緒に過ごせたこと
- 育児という共同作業を妻と一緒に経験できたこと
- 人生の幸福度が上がったこと
です。
子供の一番可愛い時期を一緒に過ごせたこと
育児をすると、子供の成長というのは本当に早いのだと、改めて思い知らされます。
生まれたてはもちろんですが、1日1日と少しずつ成長するにつれて、本当に可愛さが増していくのを間近で感じることができるのです。
そして、それは悲しいかな、あっという間に過ぎていきます。
ついこの間まで目も開かなかった我が子が、少しずつ自分の意思表示をするようになり、感情を表現できるようになっていく。
この変化を妻とともに、最も近い位置で一緒に見ることができたのは、私にとって生涯の財産の一つとなる経験でした。
私の子供は女の子ですが、女の子は心身ともに発達も早く、父親を疎ましく思うようになるのもきっと早いことでしょう。
私自身は、実質娘が一緒に行動してくれるのは10年もないと思っています。
私も、精神的に否応なく親離れせざるを得なくなっていくでしょう。
そうやって「終わり」を意識すると、今という時間の大切さがわかります。
一生懸命娘と関わりたいと思えるようになりました。
育児という共同作業を妻と一緒に経験できたこと
育児の大変さを経験した私は、改めて世の母親という役割を担う女性たちの苦労の一端を理解することができました。
夫婦二人で取り組んでいるにもかかわらず、やはり育児というものは苦悩の連続であり、決して楽なものではないということです。
無知ながら、妻とも育児中は様々な意見を交わしました。
ミルクの飲ませ方や、負担を減らす方法、もっと効率の良い方法はないかと、時にぶつかり、子供のために真剣になれました。
私なりに支えあることができた関係だと思っています。
それは結婚式以来の、夫婦の壮大な共同作業とも言えます。
共通の想いを持ち、一つのことに夫婦が同時に真剣になれることって、他にはないと思います。
人生の幸福度が上がったこと
育児に携わり、私なりに感じたことは、とにかく子供への愛着が自分の中で強まっていくのを実感しているということです。
世の女性が、男性の育児に対して思う不満の中には
「男は自分がしたいときにしか育児をしない」
という声がありました。
子供はこちらの気分や体調などはお構いなしです。
どれほど辛い時でも子供は親の手を借りなければ生きていけません。
子供は自分が寂しいときにだけ相手をする、ペットとは違います。
子供は幼少期にどれくらい両親の愛情を得られたかで、将来の人生さえも左右します。
だからこそ、子供のために、少しでも自分の時間を使ってあげたいと思うようになりました。
時間と労力をかけた分、まるで比例するかのように子供が可愛く、愛おしく感じます。
これは、仕事にのみ集中し、残業し、帰宅して、子供の寝顔を見ているだけでは生まれない感情だと思っています。
父親として、自分が得意とすることで、どう子供の教育に参加できるかを真剣に考えるようになりました。
自分よりも大切な存在が明確になった今、私にとって子供への時間的投資、物理的投資は自分ごとのように嬉しいもの。
従って、子供ができたことで、人生における幸福度やモチベーションはこれまでにないほど高い状態と言えるのです。
答え:男の役割は妻を支える「調整者」になること
え?・・・ここまで男の育児参加を語ってきたのに、結局妻を支えるのが結論って、どういうこと???
そう思う方もいるかと思います。
繰り返しになりますが、「愛着理論」の観点からも、父親は母親の代わりには決してなることができません。
これは紛れもない事実です。
そんな我々父親が、家庭に経済貢献以外に、どのような貢献ができるのか。
それは「縁の下の力持ち」になることです。
当事者意識を持って育児参加しつつも、主役を妻から奪わないこと。無闇に介入しすぎないこともポイントです。
母親と子供が健全な愛着形成ができるように、妻の身体的、精神的サポートをすることです。
兎にも角にも、子供が健全に育つためには母親との愛着関係を深く確かなものにすることが必要不可欠なのです。
その上で、男は妻が最も良いコンディションで子供に接することができるよう、支えることが役割の一つと考えています。
妻が寝不足になっていないか、妻自身の自由時間は確保されているか、育児の悩みを一人で抱えていないか等々。
妻の状態を観察し、適宜適切なサポートを行うという、一種のメンテナンス係としての役割です。
事実として、平日に仕事をしている男性は、物理的に育児へ参加できる時間は減ってしまいます。
しかし、無駄な残業や、同僚との不要な雑談を無くせば、今よりも30分か1時間、早く退社することはそう難しくないはずです。
そのわずかな時間でも、早く帰宅することができれば、その分子供や妻との時間を増やすことになるのです。
通勤時間を節約するために、思い切って引っ越しするのもいいでしょう。
育児は不安や孤独との戦いでもあります。
一緒にいて、時間や空間、気持ちを共有してあげることも立派な育児参加と言えるのです。
もちろん食事におむつ交換、寝かしつけや入浴など、できる限りの作業的育児も忘れてはいけません。
ここで私が最も強く伝えたいのは、母親と同じことだけをしているのでは意味がないということです。
男であり、夫であり、父親であり、そう言った要素を理解した上で、自分にしかできない役割を見つけることです。
ここで綴った内容も、あくまで私個人が経験上見出した価値観に過ぎません。
世の男性の方には、育児というものがただ可愛い子供に癒されるだけの時間ではないということをお伝えしたいと思います。
将来子供が大きくなったときに、胸を張って
「君はパパとママ二人で育てたんだ」
そう言えるように、自分なりの役割を見つけてみることをお勧めします。
まとめ
いかがでしたか?今回は男性の育児休暇を実際に取得し、そこから学び得た育児に対する私の価値観について解説しました。
近年の男性はその多くが家事や育児は夫婦二人でするもの、という考えの人も多くなりましたよね。
しかし、妻の役割を奪う勢いで介入する人や、手伝う素振りだけで育児にあまり関心がないという人もまだまだ多いことでしょう。
育児は決して楽ではありません。ときにメンタルがおかしくなる時もあります。
ですが、いざ真剣に取り組むと、人生においてこれほどやりがいのあることはないと言い切れるほど、楽しいものでもあります。
仕事大好きな男性の皆さん、今仕事へ向けているエネルギーの本の1割でも、育児に向けてみましょう。
きっと、仕事以外の生きがいが感じられるはずです。
今回の投稿が、育児休暇取得に迷っている男性の方や、育児に関心が持てないという方へ向け、少しでも前向きな気持ちになれる投稿であれば嬉しく思います。