友人にいつも自信満々で「別に人から嫌われても平気」って言い張る人がいます。
何事も意欲的に挑戦していくので、自信があるのはすごく魅力的なのですが、人に嫌われてもいいって・・・そんな人本当にいるんでしょうか?
ん〜どうでしょうか。一つ言えるのは「嫌われるのが好き」と言う人はこの世には絶対にいません。
絶対ですか・・・?
はい。絶対にいません。正確には孤独が好きな人はいません。
なぜなら、人が昔狩猟民族だった頃は集団で狩りをして食糧を分かち合っていましたので、集団から孤立するのは死活問題だったからです。
人は「孤独」「変化」を嫌うよう、脳に防衛機能が備わっています。つまり、脳の機能には誰も逆らえないのです。
なるほど。「孤独が怖い」が脳の機能なら、彼らは痩せ我慢しているということですか??
中には痩せ我慢している人もいるでしょうが。本当に嫌われても問題に感じない人というのは実在します。
それは痩せ我慢などではなく、達観した独自の価値観を持っているからなのです。
世の中には、稀にどんどん新しいことにチャレンジし、周囲の好感度などお構いなしに自分の意見を述べる・・・
そんな「この人なんで嫌われても平気なの??」という人が存在します。
やりたいことが明確で、自分の意見をしっかりと持っていて、そんないつも自信に溢れている人って魅力的ですよね?
では、そんないわゆる「嫌われても平気な人」というのは、一体どのような考え方を持っているのでしょうか?
私は彼らのような人間を、自分の価値観をしっかりと築き、自分一人でメンタルの調整ができる、最も再現性の高い存在だと思っています。
その様子はまるで、無駄に群れいない一匹のライオンのようなもの。
よって、このブログのスローガンに最も近しい存在として、取り上げることとします。
「嫌われても平気な人」の思考が一つでも理解し、実行に移すことができれば、それがあなたにとっての大きな成長になるはずです。
今回は、そんな「嫌われても平気な人」の持っている思考法を紹介していきます。
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思考1:自分の人生に責任を持っているので怖くない
「嫌われても平気」と感じている人の基盤となる考え方は、自分の人生に責任を持つというものです。
何があっても他人のせいにはせず、自分で選び取った選択にも最後まで責任を持ちます。
どのような最悪の状況でも、常に選択の自由は自分にあると考えるのです。
なぜなら、そう考えることで、最悪の結果にもしっかり腹を括ることができるからです。
これは自分が選択したこと、その選択に後悔はない、あの時の自分には確信があったからこそ選んだ物なのだから、と。
だからこそ何でも恐れずに挑戦していけるのです。
挑戦を恐れる人の多くは「失敗」を過度に恐れているからです。
しかし、実際に失敗した時、自分から失われる物をちゃんと説明できる人は少ないのです。
失敗して、失われたとして、それは本当に人生に絶望するほど大切な物なのだろうか?
二度と手に入らない、替えの効かない物なのだろうか?
そう言ったことを常に考えているのです。
そしてしっかりと割り切ることができたら挑戦する。
周囲の人が「失敗」に映るものも、彼らからすれば何一つ失敗ではないのです。
つまり、「失敗」に対して自分だけの価値観を持っている。これが挑戦を恐れない、嫌われてもいいと思える人の基本思考なのです。
思考2:他人に依存しないので怖くない
よく誤解されやすいのが、「あの人はわざと他人から嫌われようとしている」と思われていることです。
前述したように、脳には「孤独が嫌い」という防衛機能があります。これには誰も逆らえないので、彼らも例外ではありません。
ではなぜ、そのように映るのでしょうか?
それは彼らが「嫌われても、自分の人生に支障がないから」と考えているからです。
なぜなら、人一人が自分の人生に及ぼす影響の大きさが、思っているよりも小さいということを知っているためです。
「そんなことない!一期一会は大切だ!」という意見が聞こえてきそうですが、その通りです。
人との大切な出会いを蔑ろにするのは良くありません。どんな人からも学びはあるからです。
しかし彼らが思っているのは、他人を粗末に扱うということではなく、他人に依存しないという考え方です。
「この人がいなくなったら人生終わる!」という考えがありません。
人は支え合って生きている・・・という美談がありますが、それは決して相手に依存するという意味ではないのです。
例えば、あなたが職場で嫌われたくない理由とは何でしょうか?
単純に人間関係がギクシャクすると、居心地が悪いというだけの理由ではありませんか?
実際にあなたを嫌う人がいたとして、あなたの行う仕事内容に支障があるのでしょうか?
社員にはそれぞれ1日の仕事内容が割り振られているはずです。
自分の仕事に集中すれば、他人の評価というのはさほど影響しないものです。
社長に嫌われたらどうでしょうか?
やはり同じです。持っている資格が剥奪されることはありません。
法律があるので不当解雇もされません。
明日から仕事がなくなるわけではありません。
ただ淡々と、自身に与えられた仕事をこなせば良いだけです。
そもそも、職場は友達を作る場所ではありません。
生きるための生活費を得るのが最重要目的のはずです。
であれば、それ以外は仕事に支障がない程度に人間関係を維持し、必要以上に好かれる必要などないのです。
言ってしまえば、それ以外は瑣末な問題ということです。
フリーランスであれば、尚更自由度は高いはずです。嫌なクライアントとは縁を切れば良いだけなのですから。
つまり、「嫌われても平気な人」の考えとは自分のことを好きか嫌いかは、他人の問題であって自分の問題ではないということです。
一々何かするごとに、周囲の目を気にしても意味がないということ。
それでは本当にするべきことやしなければならないこと、そう言った目的が成就しないことを知っているのです。
例えば、職場でどうしても自分と一緒に仕事をしたくないという同僚がいるとしましょう。
その同僚が転職なり移動希望を出なりすれば良いだけで、わざわざ自分がリスクを冒してまで転職する必要はないという考えです。
自分のことを嫌っている相手に、あなたが転職するというボランティア精神は不要なのです。
なので「嫌われても平気な人」とは、自ら嫌われようとしているのではないのです。
嫌われたとしても精神的に自立できる、そう言った「覚悟」を持っている人と言えるのです。
思考3:自分の価値基準に沿わないものは選ばないので怖くない
「せっかくアドバイスしたのに、彼は行動に移さない。とても頑固で、他人の意見を聞く耳を持っていない。」
「嫌われても平気な人」はこんな風に思われていることが珍しくありません。
ですが、それは相手の意見が参考にならない、だから聞かない。というわけではありません。
ちゃんと聞いています。
しかし彼らにとって、他人の考えや意見というのはあくまでも参考であり、決定打ではないということ。
上記の批判発言は、自分のアドバイスが採用されなかったのでプライドが傷ついた、というだけの瑣末な意見に過ぎないのです。
例えそれがどれだけ含蓄のある偉人の言葉だったとしても同じです。
「嫌われても平気な人」にとって、他人の肩書きや権威性は意味を持ちません。
親だから、社長だから、上司だから、先輩だから、言うことが正しい!とは判断しないのです。
皆同じ人間。その人の意見はあくまでもその人が培ってきた経験であり、自分にとっての正解とは限らないことを知っています。
前述したように、彼らは最終的に選択する基準を、常に自分の中に持っています。
例えば私の場合だと「心躍るもの」が選ぶ基準です。
過去多くのビジネスの勧誘を受けましたが、私の価値基準に該当しなかったものは、何時間プレゼンされようとも選ぶことはしませんでした。
自分の価値基準に反して始めたものは、結局全て途中で辞めてしまうからです。
つまり、善意で受けたアドバイスに対して、彼らが反応を示さないのは、その意見を否定しているわけでもなければ、相手を嫌っているわけでもないのです。
ただ鵜呑みにしない、安易に決定打にはしない、それだけなのです。
その態度が、第三者からは「相手を受け入れようとしていない」「相手を拒絶している」「自分から嫌われようとしている」と言ったように映るのです。
思考4:何をしても「肯定派」と「否定派」は必ずいるので怖くない
失敗を恐れず、行動に移せる理由には、自分を否定する人だけではないという事実を知っているというものがあります。
世の中というのは不思議なもので、顔から火を吹くような醜態を晒そうが、大成功を成そうが、この世には必ずあなたを否定する人間と、肯定する人間がいるのです。
その良い例が2016年に行われたアメリカの大統領選。
トランプ氏とヒラリー氏の一騎打ちで、当初はヒラリー私が圧勝という予想を立てていた識者が多かったのはご存知でしょう。
街頭インタビューでもヒラリー氏を支持する声が多かったのです。
女性蔑視問題や過去の悪行が露見したトランプ氏は間違いなく敗北する流れでした。
しかし、実際に勝ったのはトランプ氏でした。
それは、いわゆるサイレントマジョリティー(物言わぬ多数派)と呼ばれる人たちがいたからです。
表面上はヒラリー氏を応援する一方、実際の投票ではトランプ氏に一票を投じる人が多かったというカラクリです。
なぜ、このような状態が起こったのでしょう?
それは、表面上は誠実な人に賛同することで、自分もそう言った人間であるという暗のメッセージを伝えているのです。
つまり、世間体や周囲の目を気にしての建前を使っているのです。
しかし、実際は「私はああ言う型破りな大統領に期待したい」「あんな風に生きてみたい」という羨望と期待でトランプ氏に投票するのです。
これは国レベルだけでなく、会社レベル、友人レベルでも同じことが言えます。
本音と建前がある以上、言葉通り批判して来る人間が必ずしも一枚岩になることはあり得ないのです。
あなたにとっても、物言わぬ支持者は必ずいるものなのです。
「嫌われても平気」な人は、この事実を知っているのです。
思考5:目指す目的が、人から好かれることではないので怖くない
「世の人は我を何とも言はば言え。我が成すことは我のみぞ知る」という言葉をご存知ですか?
これは坂本龍馬が10代の頃に残した言葉です。
「周囲の人が自分をわかってくれなくても、自分がわかっていればそれでいいのだ」
「周囲の人が私を非難しても関係ない。私がやることは私が決める」
そう言った解釈の言葉です。
一見すると無責任で自己中心的、そして利己的な言葉に聞こえますよね?しかし、この言葉は決してそういう意味ではありません。
なぜなら、坂本龍馬の生涯がそれを物語っているからです。
日本の未来を憂い、日本を洗濯するために駆け抜けた37年の人生は、利他の精神に充ちていたからです。
利他であるからこそ、目的のために人の評価などどうでもよくなるのです。
現代社会、多くの人にとって他人と円滑な関係を築き調和を保つこと、承認欲求を満たすことが最重要課題でしょう。
しかし、彼にとっての最重要課題は人から好かれることではなく、目的達成のためにどう行動するかなのです。
目的が達成されるその過程では、周囲の自分に向けられる感想など瑣末な問題なのです。
人から好かれるというのは、その過程で偶然に生まれる評価であり、自ら貪欲に求めるものではないのです。
「人に嫌われても平気」と考えている人は、坂本龍馬のように目的意識が高いのはもちろん。
「誰からも好かれる博愛主義者」と「嫌われてでも今より上を目指す変革者」は、けして一人が両立できるものではないことを自覚しているのです。
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まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は周囲にいる「嫌われても平気」な人をテーマに、彼らが何を思い、そう言った考えに行き着いたのか、その理解を深める思考法を5つ紹介しました。
彼らのように自分というものをしっかりと持っており、ぶれない価値観で自分らしく生きる人って魅力的ですよね。
もし彼らのように人の目を気にせず、自分のブレない価値観を身につけたいと思うのであれば、身の回りにいる人を参考にしてみるのも良いかもしれません。
今回の投稿が過度に人からの評価を気にして悩む、そんな読者の方にとって、少しでも参考になれば嬉しく思います。