【パパママ必見】発達障害の子供の将来が心配。私ならこう育てる!自分らしい人生を歩むために親として考えるべきことをプロが解説!

スポンサーリンク
少年と少女 子育ての価値観
相談者さん
相談者さん

うちの子は発達障害なのですが、将来のことが不安でたまりません。親としてずっと一緒にはいてあげられませんし、どうすれば子供が将来自立してやっていけるのでしょうか?

白ぶどう
白ぶどう

自分の子供が発達障害であると言われた時はとてもショックだったことでしょう。しかし発達障害というのは、ひと昔前と比べて社会の認識が変わりつつあるのをご存知ですか?

相談者さん
相談者さん

社会の認識?どう変わってきたのでしょうか??

白ぶどう
白ぶどう

昔はただの「異常者」「不適合者」「障害者」と言った相手を冒涜する表現が使われていましたが、最近は「個性」として徐々に認識が変わりつつあるんです。

自分の子供が発達障害と言われたら、ショックを受けない親などいないのではないでしょうか?

実際に発達障害のお子さんを育てている方のお話を伺っても、皆それは大変な苦労をしていました。

何よりも多く話題になったのは、「将来社会で自立していけるのか?」という不安の声でした。

当然、親は子供より長生きはできません。自分たちの健康も考えると、いつまで傍で支えになってあげられるかわからない。

一人になった子供の将来を憂いているのです。

我が子の将来を憂うのは、親ならば皆同じ気持ちでしょう。

今回は同じく子供を持つ身として、私自身の価値観を中心に、専門職としての最新の考え方を解説していきます。

「発達障害は病気」という考えはもう古い

皆さんは発達障害という言葉を聞いた時、どう思いますか?

障害・・・とついているので、病気であるという印象を持つ方が多いのではないでしょうか?

しかし、近年この考え方は適切ではないという専門家が多く、発達障害を「障害」ではなく「個性」という考え方にするべき、という論文も多く存在します。

実際に私が参加している専門職の集まる全国コミュニティーでも、同様に考えるセラピストは多く、反響を呼んでいます。

なぜ、このような考え方が普及しつつあるのか?

それはズバリ、現代人の生き方が多様化されたことにあります。

昔はたくさん勉強して、良い大学に入り、大企業に勤めることが正解・・・という時代がありました。

現代でもそのような風潮はまだまだありますし、間違っているとも思いません。

当時はその条件にハマることができなかった人は「負け」であり「不正解」でした。

しかし、現代は違います。一つの生き方だけが正解ではない。多様な生き方があっていいという考えが増えました。

小学生がYouTubeでお金を稼いだり、独立してフリーランスとしてやっていく人や、SNSをつかって自宅にいながら働けるようにもなりました。

令和時代の昨今、今や誰もが書類一枚で0円から社長になることができ、年齢に関わらずお金を稼ぐ手段が広く浸透しました。

そう、昔と今とでは、人生で選べる選択肢が桁違いに増えたのです。

これらは昔に比べて人間の個性が尊重されやすい社会になりつつあることの現れでもあります。

今は発達障害の人が社長であったり、有名なスポーツ選手であったり・・・選択の幅が広がったばかりか、偉業を成す人までが多く知られるようになりました。

もし、従来の認識通り発達障害者が「病気」であるならば、そんな人たちが偉業を成せるのは少々疑問が残るとは思いませんか?

ならば発達障害が、病気や障害ではなく、突出した個性の一つであるとしたら?

得心のいくことも多いのではないでしょうか。

このように、現代の日本では、徐々に発達障害者への見方が好転的に変わりつつあるのです。

「正しく発達する」ってどういう意味?

自由に遊ぶ子供をイメージさせる写真

発達障害は個性として捉える必要があると話しました。

とはいえ、現代社会に順応できない時点で、やはり障害なのでは?と考える人もいるでしょう。

ではそもそも「正しい発達」とは、本質的にどういう状態を指すのでしょうか?

それは身体や精神が成長するとともに、自分の望むことが実現できるようになること。さらに言えば「自分らしく生きる」ことができる状態を指すのです。

「発達障害」という言葉は、字の通り、自分らしく生きることが環境の原因で障害された状態と解釈することができます。

従って、発達支援というのは、その子が自分らしく生きるための環境整備が主な役割となるのです。

もしかして天才脳?通常発達と発達障害の脳内を比較

脳の違いを表す図

発達障害と通常発達(定型発達)、実はこの両者は脳内の作りが大きく異なっているのをご存知ですか?

具体的にどう違うのか?

通常、生まれてきた赤ちゃんは成長過程であらゆる刺激を吸収し、成長していきます。

その吸収速度は恐ろしい速さです。

なぜなら、幼児期の脳内というのは、膨大な情報を吸収するため、神経回路が複雑にネットワークを築いています。さながら張り巡らされた蜘蛛の巣のように。

下記の画像のような複雑に絡み合った神経回路が作られています。

この脳内を一言で言い表すのであれば「天才」です。

そう、赤ちゃんは皆、天才なのです。天才脳ゆえに、わずかな期間で莫大な量の情報を吸収し、急激に成長できるのです。

幼児期の脳内を表す図

一方で成人になるとどうでしょうか?

幼児期には情報を吸収して処理することだけに脳が使用されていましたが、成長するにつれて周囲と上手くやっていくための社会性を身に付けていく必要があります。

従って、脳内の神経回路は余分な回路が取り除かれ、最大限簡略化されます。

この脳内を一言で言い表すのであれば「凡人」です。

そう、人間は皆、成長するにつれて凡人になっていくのです。

凡人になっていくがゆえに、効率的な神経回路が構築され、社会性を習得するための回路が作られる余白が生まれるのです。

成人の脳内を表す図

では発達障害者の脳はどうでしょうか?

発達障害の脳は、ほとんど幼児期の脳内と変わらないことがわかっています。

本来取り除かれるはずの余分な神経回路がほとんど取り除かれず残ったままです。

成人になっても未だ複雑な回路が構築されたまま、社会性を身につけるための余白が非常に少ないのが特徴です。

発達障害の脳内を表す図

通常発達の成人と比較すると一目瞭然です。

世間で言われる「天才肌」な人たちが、往々にして社会性を欠くのは、そもそも脳内で社会性を身につけるための回路が少なすぎるのです。

ここで私が最もお伝えしたいのは、そもそも脳の作りが異なる人を、強引に通常発達の社会に当てはめようとすること自体が間違っているということです。

それは発達障害者を強引に現代社会に当て嵌めようとする行為であり、彼らの「個性」・・・すなわち自分らしい生き方というものを否定する考え方なのです。

なぜ発達障害者は世間で受け入れてもらえないのか?

こちらを見つめる少女の画像

この答えは、ズバリ日本の古い教育にあります。

日本の義務教育で学べるのは「従順さ」「勤勉さ」「真面目さ」の三つです。

そこに個性は反映されていません。

なぜ、日本では個性が省かれた教育が根付いてしまったのでしょうか?

その答えは明治維新にまで遡ります。

当時、薩摩藩(鹿児島県)と長州藩(山口県)が坂本龍馬の仲介で手を組み、徳川幕府を倒したことで、今の政府の母体である明治政府を作ることができました。

しかし、明治政府は考えました・・・

「自分たちも同じように大規模な反乱に遭うかもしれない」と。

そこで明治政府は男も女も積極的に教育を受けられるよう整備に着手します。

その狙いは、国にとって管理しやすい国民性を築くためです。戦争当時はそれが顕著に見られた時代でもあります。

少しでも人の輪から外れたことをすれば「非国民!」

少しでも政府を批判すれば「非国民!」

少しでも国に非協力的な人は「非国民!」

このように「協調性」という言葉を盾に、徹底して国に従順な国民性を作る必要があったのです。

日本の教育出発には「個性」などの多様性を大切にする文化がそもそもないのです。

皆と同じことができる子は「良い子」。皆と違うことをする子は「問題児」。

「右ならえができる子」が「普通」であり、「右にならえない子」は「非常識」

当時の政府にとって国民の「個性」など邪魔なものでしかなかったのです。

現代社会でも執拗なまでに日本人は「協調性」という言葉を重要視しますよね。

少しでも個性が目立てば叩かれやすい社会は、当時からの名残を感じます。

クラスで一人や二人、どうしても授業に集中できない子はいるものです。

日本の教育ではそう言った子は問題児として取り上げられ、授業に集中することを強要する手段しか取りません。

そう言った教育を受けた子が大人になって社会に出れば当然、多数派に馴染めない少数派を否定する社会人が出来上がります。

つまり今の日本社会は、多数派が構築した社会構造に、順応できない少数派を受け入れられる社会ではないということです。

少数派である発達障害者は、否応なく、多数派の仕組みに無理やり順応を強いられる形になってしまうのです。

これでは自分らしい生き方など、できるはずがありません。

21世紀。日本という国は、戦後80年近い年月を経てもなお、戦前の教育から抜け出せずにいるのです。

先駆者たちに学ぶ発達障害の成功例

伸び伸びと好きなことをする少年たちの写真

皆さんは歴史の人物に発達障害者が多数いることをご存知でしょうか?

ここでは「知っているよ。でもそんな歴史の人物の成功例なんて励みにならない」という方に向けた記事になっています。

まず、昨今研究が進み、学会や数多くの論文でも90%以上間違いなく発達障害だったとされる人物が、少なくとも5人〜6人います。

  • 坂本龍馬
  • エジソン
  • アインシュタイン
  • モーツァルト
  • ダヴィンチ
  • (織田信長)⇦近年新たに発見された資料により、識者の間で意見が別れている

上記の偉人は誰もが聞いたことのある人物ですよね。

彼らの生きていた時代は、現代社会よりはるかに発達障害という概念に乏しく、周囲からの理解も得られませんでした。

そんな苦境の中、なぜ、彼らは偉業を成すことができたのでしょうか?

前述したように、正常な発達とは身体や精神が成長するとともに、自分の望むことが実現できるようになること。さらに言えば「自分らしく生きる」ことができる状態を指す、と説明しました。

彼らは発達障害でありながら、自分らしく生きることが許された人たちだったのです。

すなわち、環境に恵まれた人物たちだったというのが共通点なのです。

坂本龍馬は脱藩して自由の身となり、エジソンは小学校を中退して図書館通い、ダヴィンチは親が裕福な家庭でした。

時代背景はそれぞれですが、彼らは誰にも自分の個性を抑制されることなく、存分に開放したからこそ成功できたのです。

彼らが生きた時代と比較すれば、現代の日本社会では、最低限の生活が保証されており、発達障害に対する理解も桁違いに良くなっています。

つまり、方法次第では発達障害者は自分らしい生活を獲得できる可能性が高いということです。

私ならこう育てる、発達障害児の将来(実例紹介あり)

私は仕事柄、小児の発達障害児、成人の発達障害者とも接する機会があります。

仕事を通して理解したことは、彼らは自分の持っている良さを何一つ、社会で発揮できていないという点です。

「父親のコネで就職しましたが、上手くやれなくて・・・でも父親の手前、辞めるに辞めれません。」

そう言って「うつ病」と診断された発達障害の男性がいました。

彼は元々動物が好きで、動物の観察が大好きだったそうです。

将来は動物に関わる仕事につくのが夢だったと言いますが、「自分のことがまともにできない人間が動物を管理できるわけがない」という父親の猛反対を受けて諦めたそうです。

親としては子供の将来を憂いての言葉だったのでしょうが、本人としては能力を否定されたことで自信も失っていました。

動物の観察が好きだったというだけあり、実際に彼は細かなことによく気づく観察力に長けた人でした。

うつ病でありながらも、周囲のことに気を配れる特殊な例だったのを覚えています。

彼は最終的に介護の仕事に転職しましたが、その観察力が功を奏したようで、仕事の細やかさを高く評価されたと喜んでいました。

これは自分の長所に気付いて、それを活かせる職についた一つの成功例ですが

もっと幼少期にその子が得意とすることを伸ばすことができたらどうでしょうか?

私はもし自分の子供が発達障害だと診断されたら、まずは時間をかけて、子供が時間を忘れるほど熱中できることを探します。

そして、その熱中できることをとことんまで伸ばすでしょう。

それがそのまま子供の個性になります。

そして将来、子供が自分の個性を最大限仕事として成立できるよう、仕組みを作るでしょう。

例えば、絵の好きな子だった場合、子供には絵を描くことに集中させ、その絵を売る仕組みを第三者に委託します。

マーケティングのできる人間に協力してもらうのです。インターネットなどのツールを使うのも良いでしょう。

私がこの例でお伝えしたいのは、子供が全て自分一人で自立する必要はないということです。

我々大人も然り。全て自分でできるわけではありませんよね?

私自身も不得意なことだらけですが、その不得意を補ってくれる妻がいます。

できないことは素直に人に頼り、自分の「できる」を最大限生かす方法を考える。

我々大人が、発達障害を持つ子供にできる支援とは、

その子がその子らしく生きるため、個性を発揮できる環境作りをサポートすること

なのだと、私は思うのです。

社会の枠に強引に当てはめることだけが、唯一の選択ではありません。

それだけが正解ではないのです。

それは、過去の先駆者たちが体現してくれています。

自分の子供には、そんな開かれた自分らしい人生を歩んで欲しいと、思いませんか?

まとめ

いかがでしたか?

今回は私が仕事柄携わる発達障害の子供と、その親が抱える悩みについて、近年の考え方と私個人の見解を元にまとめた内容でした。

ここまで綴った内容はあくまでも「私ならこう育てる」という個人的価値観です。

全てはケース・バイ・ケース。その子にあった道を提示してあげてください。

今回の記事で私が最も強くお伝えしたいのは、社会の常識に惑わされないで欲しいということです。

正常な発達が「自分らしく生きること」であるならば、世間の「普通」から外れようとも、我が子が幸せに生きられる環境こそが一番なのです。

今回の投稿が発達障害の子供を持つパパママにとって、同じ親として新たな選択肢をもつ一助になれれば嬉しく思います。