近年、「謝れない人」が増えてきているという社会の傾向がある。
謙虚さが美徳とされる日本社会では、謝ることができる人の方が信頼される傾向がある。
しかしだからと言って、何でもすぐに謝ることは率直に言っておすすめしない。
なぜなら、場合によっては状況を不利にしてしまう可能性があるからだ。
理由は、謝罪とは「責任の所在を引き受ける行為」であるからだ。
つまり謝罪した時点で、この問題の責任は自分にある、と宣言してしまう行為なのだ。
多くの人は
- 「場を収めるため」
- 「空気を良くするため」
- 「大人の対応として」
と謝罪を軽く使うけど、実際には
謝罪=責任の引き受け宣言なので、相手としっかり話し合う前に謝ってしまうと、その後の交渉であなた自身が不利な立場に立たされてしまうのだ。
第三者から見ても、謝っている側の方に「何かしら問題があったのだろう」という目線で評価されてしまう。
当事者以上に事実を知らない、事実確認すらしない、そんな第三者は極めて安易に判断しがちなのだ。
なので、謙虚さをアピールしようと安易に謝罪をすることは、状況を不利にするリスクがある。
だから軽く扱うと危険なのだ。
今回は、そんな謝罪をテーマに、立場を悪くしないよううまく立ち回るための方法を解説していく。
- プライドを守りながらしたたかに謝罪する方法
- 謝るべき場面と、謝ってはいけない場面
- 謝罪の持つ本当の意味
「謝るな。ただし、謝罪は戦略的に活用せよ。」
喧嘩などしたことがない、気が弱くて、何かとすぐに謝ってしまう人がいる。
実はこれ、心理学的に見てもやや危険な傾向がある。
冒頭でも触れたように、すぐに何でも謝る行為は自分の立場を危うくするリスクがある。
どのようなリスクか?
それは心理的に相手を有利にしてしまうことだ。
特にプライドが高く、自分の非を認めたがらない人間が一定数存在する。
そんな彼らからすれば、どうにか自分に正当性があるという形でその場を収めたいと感じているのだ。
その時、あなたが安易に相手より先に謝罪してしまったらどうだろうか?
相手は内心「ラッキー」としか思わないだろう。
その時点で心理的優位性は相手に渡ってしまう。
また、脳科学的に、人間の脳は体の動きを察知して認識を変える習性がある。自分の声が耳から脳へフィードバックされ、自分の声の内容を脳が認識するというメカニズムだ。
つまり謝る行為は、「自分に非があった、相手に迷惑をかけてしまった」と脳に罪悪感をインプットしてしまうのだ。
さらにわかりやすくいうと、自分の声で自分自身の脳に暗示をかける行為ということだ。
そのため、その場を丸く収めようと社会性の一環で謝ったとしても、次第に脳は「自分が悪い」という罪責感を抱きやすくなり、その後の交渉で強気になれず、不利な条件で収まってしまうケースが決して少なくない。
そこで、私自身は、まず安易に謝るべきではないという姿勢を前提に、「謝罪」という行為自体を戦略的に活用することを強くお勧めする。
自分が謝罪することで、結果として自分が有利な立場にされると判断した際に、パフォーマンスとして謝るという意味だ。
謝罪も使い泥によっては強い武器になるということだ。
「謝らない=強さ」ではない
「謝れない人」がよく誤解しているのが「謝らない」ことが「強さ」と勘違いしている点だ。
あえてその認識を擁護するなら「謝らない覚悟」とも受け取れるが、とどのつまりプライドが邪魔して謝れないだけの人が多いというのが実態だ。
- 周囲から“戦闘モードの人”に見える
- 心理的安全性が下がる
- 人が本音を言わなくなる
結果、孤立する。
したたかさは、
“戦わずに勝つこと”。
時に謝るのは、
戦略的撤退ではなく、
主導権の回収だったりする。
ここから先は「謝罪」の戦略的な使い方を解説していこう。
謝ってはいけない状況 2選
まず、絶対に謝ってはいけない状況が、少なくとも二つある。
① 状況証拠だけで犯人扱いされる時
状況証拠とはパッと見て、状況から「この人が犯人かもしれない」という「かもしれない証拠」のことだ。
サスペンスドラマなどでよくあるシーンとして、遺体に駆け寄ったあなたが誤って遺体に刺さっている凶器に触れてしまい、その様子をたまたま第三者に目撃されてしまったことで、あなたが犯人だと疑われている状況のことだ。
あなたは遺体の第一発見者で、しかも凶器にはあなたの指紋もある。あなたは確実に殺していないけれど、状況から見て、間違いなくあなたが犯人の可能性が高いと、第三者が判断してしまうこと。
つまりは「冤罪」だ。
このタイミングで謝ると“自白”扱いになってしまうので要注意だ。
状況証拠、というのは「かもしれない証拠」という極めて曖昧な証拠なのだ。
しかし社会に出ると、こうした状況証拠だけであなたが犯人扱いされれしまう場面というのは決して少なくない。
難しい業務から簡単な雑務まで、社会人であればこのリスクからは逃れることができない。
こうした状況証拠だけで、あなたが犯人扱いされている時は何があっても誤ってはいけない。
事実確認によって、冷静に状況が整理されるまで、必ず待たなければならない。
感情は一旦処理し、間違っても軽率に誤ってはいけない。
② 10-0ではないのに全責任を押し付けられそうな時
この場面は日常的に本当によくあるので注意が必要だ。
何か両者間でトラブルがあった時、まず確実に見られる状況としてはお互いに「冷静さを失っている」ことが多い。
そのため、相手も一方的に「お前が悪い」とあなたに責任を押し付けようとしてくることもある。
事を大きくしたくないからと、このタイミングであなたが安易に先に謝ってしまうとその時点でその場の構造が固定化されてしまうから危険だ。
相手は「ほら、非を認めたぞ。やっぱりこいつが悪かった。」と心理的に自分の行いを客観的に見れなくなってしまうのだ。
そうなると、たとえ相手にも非があったとしても、相手はなかなか認めようと無しなくなる。
焦って先に謝ってしまうと、それが前例となって次回以降も同様の状況であなたは謝り続けなければならなくなる。
完全にコミュニティー内におけるパワーバランスが崩れてしまうのだ。
なので、1割でも相手に非がある場合は、まずは冷静に状況を整理し、お互いの落ち度についてしっかりと情報整理を行おう。
謝るべき状況 3選
一方で、謝らないことで自分の立場を危うくしてしまう「謝るべき」状況もある。
ここで重要なのは自分を評価する「第三者」の目にどう映るかを意識することだ。
自分に明確な非がある時(10-0に近い)
まず、事実が客観的に見ても明白で、どう状況を整理しても自分が悪いという状況下では、一切のプライドを捨ててしっかりと謝罪しよう。
状況的に黒、第三者的にも黒、あなた自身も釈明が困難で具体的に被害も出てしまっている。
この状況下で意地を張って謝らないと、確実に信用を失ってしまうからだ。
しかもこの場合の失う信用はかなり大きい。
その損失は今まで積み上げてきたもののほとんどを失う覚悟が必要だ。
冷静に、論理的に考えれば謝った方が自分に損益が生じない。
この状況でも謝れないのは、もはや子供の「ダダ」そのものだ。
社会人にもなって感情一つ処理できない社会の欠陥品としてあなたの評価が定着するだろう。
長期的信用を守る方が得な時
仮に、自分が100%悪いわけではなかったとしても、謝っておいた方がいい状況がある。
それが長期的に相手が自分の利益になる場合だ。
たとえば将来的に協力が必要不可欠な取引先、組織内で自分の評価を左右する立場の上司、それ以外にも自分にとって重要性の高い関係者などだ。
ここで重要な考え方は一つ。「名を捨てて実を取る」だ。
謝ることで一時的にプライドが傷つき、あなた自身のネームバリューも評価が下がるだろう。
しかし、謝ることで長期的にあなたが利益を得られる相手であれば、むしろ謝らない方が損益が大きくなってしまうだろう。
一時的な悔しい感情は処理しろ。傷ついた名前もどうでもいい。
目的意識を持ち、その先にある一点の大きな利益のために、今を耐え、戦略的に謝罪しろ。
したたかに行動しろ。
相手が既に自分の非を認めている時
謝れない人の多くは「謝罪」=「敗北」と考えている人が多い。
今までの話からその認識も間違ってはいない。
しかし、すでに相手が自分の非を認めているにも関わらず、こちらが非を認めないのは、先にも述べたように、さながら子供の「ダダ」そのものだ。
この状況で謝れないと、あなたは稚拙な大人として周囲から評価されてしまう。
すでにわかると思うが、社会で名実共に稚拙と判断された大人は本当に誰からも信用してもらえない。
腫れ物を扱うように表面上の優しさは得られても、誰1人あなたを高く評価する人はない。
なぜなら「子供と同じ扱い」だからだ。
適当に機嫌さえ取っておけばチープなプライドを傷つけずご機嫌が取れると思われているからだ。
なので、相手が明確に自分の非を認めている時は、すかさずこちらも謝罪しよう。
この場合の謝罪は「敗北」ではなく「相互着地」になる。
したたかに演じる「謝罪」
謝罪をする時、最も求められるのは何かわかるだろうか?
誠意?罪悪感?賠償?罰?
違う。
それは演じる力だ。
相手に誠心誠意、自分が心から反省しているように、信じ込ませるための演技力だ。
こういう表現をすると、なんだか詐欺師っぽい言い回しになってしまうが、事実として、現実の人間社会で、心から相手に謝罪している人間は極めて少ない。
ほとんどの人間が、自分は悪くないと思いながらも社会性が低いと思われたくないが故に形式上謝罪していることが大多数なのだ。
特に些細なトラブルやヒューマンエラーなどによる日常の摩擦は、ほとんど形式上の謝罪しか交わされていない。
面倒臭い取引先にはとりあえず謝っていく。プライドが高い上司もとりあえず謝っとけば機嫌が治る、そんなふうに打算的に謝罪という行為は誰もが経験しているし、日常的な手段のはずだ。
だが、だからこそ、中途半端に演じて嘘がバレるようなことはあってはならない。
謝罪という「嘘」を完璧に演じてこそ、したたかさと呼べるからだ。
それでもプライドが許せない人も多いだろう。
そんな人にこそ、この記事を読んでほしいと感じている。
繰り返すが、謝罪は心の底から誠意を持ってする必要はない。
相手にそう信じ込ませるための演技力が重要だ。
「謝罪」の価値を最大化する
それもただ謝罪するだけではない。
「謝罪」という行為をいかに相手に高く貸し付けるかが重要だ。
例えば、普段謝らない人がここぞとばかりに深く謝罪していたとしたらどうだろうか?
「普段謝らないあの人があんなに謝るなんて・・・本当に反省しているんだな」
周囲はあなたをそう評価するだろう。
謝られている相手も、普段滅多に謝らないあなたが一言深く謝罪したとしたらどうだろう?
これ以上追求し、ゴネて開き直られるくらいなら、この一言で許してやった方が引き際としては良い。と判断する可能性が高い。
つまり、「謝る」という行為に希少性を持たせるほど、相手に謝罪という行為を高く貸し付けられるということだ。
このように普段からのあなたのキャラクター設定が重要になる。
私個人の例を挙げてみよう。
私は普段、周囲の人間に
- 特定の2つの条件下では絶対に謝らない
- でもその条件以外ではすぐに謝ってしまう
そう公言している。
私というキャラクター設定を普段からしているのだ。
実際意識して普段から簡単に謝るようにしている。
謝りやすい空気を作れるよう、職場では明るい陽気なキャラクターを構築し、謝罪のハードルを下げている。
普段から容易く謝る習慣を周囲に見せることで、「あの人は謝れる人」という前提を作り、その上で絶対に謝らない条件を公言することで私が引かない場面を明確に示すことにしている。
そうすることで、私は自分に都合の良い場面でしか謝る必要がない環境を暗に作り出している。
現にもう何年も不本意に謝罪を求められたことがない。
非常にストレスがない状態と言える。
仮に稀に謝らなければならない場合でもなんのストレスもなく頭を下げられる。
内心では「今週の休みは娘と何をして過ごそうか」など全く無関係なことを考えながら
表では相手の気持ちを汲んで、話に抑揚をつけ、共感し、傾聴し、それはそれは丁寧に謝っている低姿勢な自分がいる。
皮肉なことに、それで相手とその後は今まで以上に良好な関係へ発展するから不思議だ。
正しく雨降って地固まるというやつだろう。
私の演技もバレていないという証拠だ。
ここで最も伝えたいことは演技力を高めれば、気持ちのこもっていない謝罪であったとしても成立するということ。
結局のところ、他人の心を知る術などないのだから。
人間社会で極力ストレスなく過ごすには、時にこうした戦略を持つことも重要だということだ。
最後に
いかがでしたか?
社会では理不尽に謝らなければならないこともたくさんある。
その時その都度誠心誠意、心を込めて相手の怒りを受け止めていれば、あなたの心は確実に疲弊してしまう。
理不尽には逆らっていい。
どんな形であれ、正攻法で受け止める必要などない。
自分の心を守ること以上に、重要なことなどありはしない。
もう、自分を犠牲にする生き方はやめよう。
したたかに、生き抜こう。
それが弱者の戦い方だ。
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