突然ですが、あなたにとって敗北や失敗って、どういうことですか?
え・・・そりゃ〜相手に先を越されて悔しい思いをした時とか、やりたいことが成功しなかった時ですねぇ〜
あなたの周りには、何度失敗しても挫けずに挑戦し続ける人はいませんか?
あなたから見れば、とっくに諦めて然るべき状況だったとしても、当の本人からすれば、それはまだ敗北でも失敗でもないのかもしれません。
このように、人によって失敗の定義とは様々なものなのです。
ではどのようにすれば、失敗しても挫けない、やりぬく力を身につけることができるのでしょうか?
今回は、そんな「敗北・失敗」をテーマに、私自身の価値観や人生観も踏まえて綴って参ります。
「自分にとっての失敗」とは?定義付けしてみよう!
冒頭でも投げかけたように、自分にとって諦めるに足る条件とは何でしょう?
望んだものが手に入らなかった時?
他人が自分より成功した時?
この定義は人それぞれでしょう。「え!?そんなことで諦めちゃうの!?」と思う人もいれば「どうしてまだ頑張れるんだ??」と思うような人もいます。
ここでの重要テーマがあなただけの「敗北・失敗」のレッドラインを引きましょう!です。
- こういう状態になったら、自分としては諦めてもいいと思える条件
- こういう状態になったら「敗北・失敗した」と思える条件
そういった、あなたが許容できる条件を探してみましょう。
ちなみに、私白ぶどうは、自分にとって本当に大事なものが失われない限り失敗ではないと定義づけています。
なので、目的が成就しない出来事があったとしても、それは私にとって成功ではないが失敗でもないということになるのです。私の人生はほとんどがこういった中間の状態で終わることが多いのです。
私にとって失敗の条件に入らないもの全てが「成功ではないが失敗でもない」と位置づけられるので、周囲が私に諦めを促してきたとしても気にせずに続けることができます。
自分だけの価値、自分だけの定義があれば、倒れても折れず、何度でも挑戦することができるのです。
私のは一つの例ですが、このように「成功」か「失敗」だけでなく中間の状態を答えとして置くこともお勧めです。
辛い経験の数だけ「敗北・失敗」の許容範囲が広がる
初めからこうした定義を無自覚に持っている人もいれば、意識してこれから定めていく人もいる。
では初めから定義を持っている人とは、どういった人間なのでしょうか?
それはズバリ、過去の辛い経験が多い人です。
その経験が重度であればあるほどに、この定義は許容範囲が広く確立します。
なぜなら、大切な人と死別した経験がある人は、膝についたかすり傷程度では少しも心が折れないのと同じです。
生まれてから一度も怪我をしたことがない人なら、膝についたかすり傷でも恐怖を感じるかもしれませんが。
過去の体験の辛さが大きければ大きいほど、それを超える体験が起きないかぎり、心は折れないからです。
とはいえ、今からあえて絶望的な体験をしましょう!などとは言いません。そんな経験はむしろ無いに越したことないからです。
だからこそ、そんな方には意識的に行う定義づけをお勧めしているのです。
この定義づけは、言い方を変えれば「諦めない境界線」がはっきりすることでもあります。
それが定まれば、あなたの心は倒れても折れない、そんな「やりぬく力」が大きく成長することでしょう。
注意!自分の定義は、他人に押し付けてはダメ!絶対!
「自分は大丈夫!昔色々辛い経験もしたし、挫折もたくさん経験したから!」という人。
今度はすでに定義づけができている人に向けた、全体にやってはいけないお話です。
それが、その定義を人に押し付けてはいけないです。
これはかなり重要です。
なぜなら、誰もが一度はやってしまいがちなことだからです。
自分よりも落ち込みやすい人間には、ついついアドバイスしたくなってしまいますよね?
「俺だったらそんなのへっちゃら!」という価値観を強引に押し付けると、相手は「こんなことで落ち込む自分はやっぱりダメな人間なのかなぁ」と、さらに落ち込ませる結果になるからです。
これは私自身の失敗談でもありますが、相手には相手の定義があることを理解しておきましょう。
まずはその価値観に寄り添う姿勢が大切なのです。
私が実際に行う「失敗」の定義を仕事に生かす考え方
ここでは「失敗の定義付け」を、私が実際の仕事にどのように生かしているかをご紹介します。
まず、私にとって、社会で仕事をする上で重要なものが2つあります。
- 仕事は生活費を稼ぐ場
- 仕事は自己成長の場
というこの2本柱が損なわれない限り、私にとって職場で起こる不都合や諸問題は、転職や退職をする理由になり得ないということです。
一つ目の生活費を稼ぐ場所、というのはご理解いただけるのでは無いでしょうか?
兎にも角にも働く第一の目的は生きるためのお金を稼ぐ場所だからです。夫であり、一児の父である私は、お金という名の「安心」を家族に提供する責任があります。あえて番号を振ったのは、優先順位があるからです。
自己成長の機会が損なわれたとしても、生活はできます。しかし十分な報酬が会社から支払われなくなれば、もはや死活問題です。
一方、二つ目の自己成長に関しては仕事を通じて、自分を人間としても専門職としても成長させることのできる場所という認識だからです。
私は国家資格を用いて仕事をしていますが、その国家資格を失えば仕事ができなくなってしまいます。
つまり私にとって、「資格を失うほどの失敗」をしなければ、それ以外の諸問題は瑣末な問題ということです。だからこそ、私は今も変わらず、仕事に向かう姿勢は挑戦的でいられるのです。
このように、私は仕事における自身のレッドラインを定めています。
上記2つの定義が損なわれた場合、私は何の躊躇もなく転職・退職するでしょう。
そこに職場への情は入る余地がないからです。それくらい私にとって重要な価値観でもあります。
定める価値観はよりシンプルであればあるほど楽なものです。
私を変えてくれたエジソンに学ぶ価値観
「私は失敗したことがない。ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。」
これはあまりにも有名なエジゾンの言葉です。
今回のテーマは、この名言以上の良い例が見当たらないほどです。
エジソンにとって、1万回の工程は失敗の定義には含まれないということ。
彼にとっての「失敗」が、今となっては、結局何だったのかは本人しかわかりません。
しかし、彼が残した数々の名言から、私が思う彼にとっての「失敗」の定義とは、「停滞」だったのではないでしょうか。
なぜなら、彼は挑み続けることそのものに意義を見出していたようにも思えるからです。そんな彼にとって、成長の歩みを止める、つまり挑戦をやめて停滞してしまうことこそが「失敗」なのではないか。
私はそう思うのです。
私は勝手な自分の価値観で、勝手に彼を尊敬していますが、そんな彼が残した言葉が無ければ、私は挫けてしまっていたかもしれないことがたくさんありました。
まとめ
いかがでしたか?今回は倒れても折れない強い心を作るため、「敗北・失敗」をテーマに定義付けをすることの重要性を綴りました。
私たちはついつい周囲と自分を比べて勝ち負けや成功・失敗を決めてしまいがちですよね。
でもそれは非常に損をしているのです。そういった基準を自分の中だけで持つと、周囲の雑音は気にならなくなります。
自分の人生の目標により集中することができるし、成功率も上がることでしょう。
今回の投稿が失敗で自信を無くしがちな読者の方にとって、柔軟な考え方の一助になれば嬉しく思います。