虐めを受けたらどうすればいい?被害者が取るべき具体的行動2選と考え方を実体験者が解説!

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背後の子供達に指を刺されて顔を隠している少女の写真 虐めの価値観

あなたは虐めを受けた経験ありますか?また、他人を虐めた経験はありますか?

学校、職場、この社会は年齢も性別も場所も問わず、必ずと言っていいほどに虐めが起こります。

何故、虐めは起こるのでしょう?

もし自分が虐められたら?自分の大切な人が虐められたら?その時あなたはどう行動しますか?

虐めは心に深く、どこまでも深く染み付きます。

その人の一生を左右することもあります。

法律がないだけで、していることは重罪と言っても過言ではないのです。

今回はそんな「虐め」をテーマに、私の経験談を踏まえて綴っていきます。

その考え方厳禁!間違っても自分を責めてはいけない

周囲と上手に関係を築けない自分は、やはり間違っているだろうか・・・

虐めを受けていると、時にこうした自責の考えを抱くようになります。

それは、自分という人間が限りなく少数派だからです。人間特に日本人は多数派が正しいと思う傾向があるため、精神的に孤立すると自分が悪いのではないかと錯覚してしまうのです。

しかし、これは断じて違うので、もし、虐めを受けているあなたが、自分を攻めるような考えを巡らせたなら、今すぐにやめましょう。

あなたは悪くありません。何故なら、あなたは傷付けられているのですから。

傷付けられているあなたが被害者で、傷つけている人が加害者という事実は変わりません。

今も苦しくて、涙を必死に堪えるあなたが責められる道理はないのです。

虐めている側も、自分たちの味方を増やすことで、あなたを心身ともに孤立させることがそもそもの目的です。

相手の策略に乗らないためにも、あなた自身が、誰よりもあなたの味方でいてあげてください。

被害者は戦わなくていい。まずは逃げなさい。

学校は転校したっていい、職場は転職したっていい。

自分に害を与える人間から距離を置くことは、決して逃げることではなく、戦術的撤退です。

そんな心の害しか運んで来ない他人に、あなたの貴重な時間と心労費やす必要はないのです。

「虐められるたびに逃げていたのではキリがない」という人もいるでしょう。

ですが、心を病んで命を断つことさえ頭をよぎらせるほど、耐え続ける必要はないのです。

しかし、これだけは覚えておいてください。

この人間社会では、どこまで行こうとも、あなたに不都合で理不尽な人間は必ず現れます。

その時、ただ逃げるのではなく、この社会で自分という人間はどのように生きていくのが良いのだろうと、あなたなりの答えを考えてみましょう。

辛い経験やネガティブな感情は、生かしてこそ、価値が生まれるのです。

私は、当時部活で虐めを受けていた際に、辞められない理由として「進路に響くから」という理由だけでした。今に思えば、そんな理由で人生が左右されるほど、社会は単純ではないのです。

あの当時の私にもっと勇気があれば、部活はやめて、好きな習い事の一つでも始めて、学校外のコミュニティーを築いていたでしょう。習い事で自分だけの特技があれば、自信だって早くにつけることができたかもしれない。

今となっては後悔ばかりですが、私はその後悔も含め、私の経験が誰かの勇気づけになれればと思いこのブログサイトを立ち上げることにしたのです。

これが、私なりの「生かし方」なのです。

友達は無理に作ろうとしなくていい。好かれようとしなくていい。

昨今、小学生〜大学生に至るまで、学生にはある傾向があります。

それは一人でいることが嫌というもの。高校生まではクラスが一つの集団なので、そこから弾かれる恐怖は理解できます。

しかし、今や大学生や社会人までもが、大学内や職場で孤立することを恐れています。

孤立に対する恐怖自体は、脳機能の正常な働きなので問題ありませんが、私が疑問なのは何故そうまでして無理に集団に身を置こうとするのかです。

大学では高校生とは異なり、ほとんど個人の活動が中心になります。無理に集団に所属せずとも健全で安全な大学生活は送れるはずなのです。

しかし昨今では食堂で一人で食事をしていると「ぼっち飯」などと言われることもあるそうで、個人的には何がいけないのか、話を聞いた時全く理解ができませんでした。

社会人に至ってもそうです。職場は本来、生活費というお金を稼ぐ場所であり、仕事に支障のない範囲で最低限、円滑な人間関係が保てていれば問題ないはずです。

ところが皆、必要以上に人からの高感度を気にする傾向が目立ちます。

これらには、一つの理由があります。

それは、他人から認められない、弾かれるような自分には価値がないという歪んだ認知が根底にあることです。

認知の歪みに関しては、心理療法による考え方の修正を解説した記事を投稿していますので、そちらをご参照ください。▶︎(参考:気持ちの余裕、ゆとりある生き方をしたい。心の余裕の作り方、考え方を心理療法で解説

他者からの評価でしか、自分の価値を見出すことができない、そんな印象もあるのです。

自分の価値は他者から得るだけのものではありません。それは自分自身で見出すものでもあるはずです。

本来、本当に大切な友人とは無理矢理作るものではなく、自身が進む道の過程で偶然出会う、宝物のような存在なのです。

友達のいない自分が許せない、そんな風に考えてしまうあなたには是非とも上記に挙げた参考記事を読んでいただければと思います。

まずは知っておこう、虐めは無くならないという現実を

性格、人格、育った環境、何もかもが異なる他人同士が、クラスや職場といった一つの空間に押し込められます。

これだけ複数の他人が集まれば、価値観や考え方の相違は必ず生まれます。

虐めが起ころうとも、職場は無視しますし、学校は気づかないフリをします。それが現実です。

虐められることに理由はありません。

虐める側の理由は、団結を固めたい、気に入らない、権威性を誇示したい等々。

虐める側の人に立派な大義などありません。少なくとも、私の経験上納得のいく虐めの理由は一つもありませんでした。

そんな些細で鎮撫なことで、虐めとは容易に起こってしまうものなのです。

今、虐めを受けて苦しんでいるあなたにも理解して欲しいのが、この世から虐めはなくならないという悲しい現実です。

だからこそ、時に逃げるも良し、誰かに助けを求めるも良し、自分なりの攻略法を考えるも良し、あらゆる手段で身を守る手段を考えてください。

ここで最も伝えたいのは、とにかく一つの手段に固執しないこと。

逃げ続けることだけ、強者に立ち向かうことだけ、そう言った偏った考え方はあなた自身が自分を追い込む結果となるからです。

このブログサイトのプロフィール欄にも書いたように、多様な価値観は人生の財産です。

色んな人に相談し、いろんな手段と考え方を身につけましょう。

それが後々、必ずあなたにとって身を守る盾となり、社会を生き抜く矛となるからです。

もし虐めを受けたら取るべき具体的な対策2選

より多くの人に相談(拡散)する

まずは虐めを受けているという事実を、親を始め、より多くの人に拡散することです。

虐めを行なっている人間が何を恐れているのか、それは自分の行いが広く周囲に知られることです。

なぜなら、人間は少数派に属すると不安になり、多数派に属すると安心するものだからです。

加害者は逃げ道として、必ず自分を正当化する理由を用意しています。

自分が罪に問われた際には、それを言い分として身を守ろうとします。

しかし、加害者が自分のコントロールできない規模で虐めの実態が拡散したらどうでしょう?複数の同級生に複数の教師。一人一人説明をしていけなくなれば、精神的には少数派にすることができます。

特に教師は担任以外の人にも積極的に相談しましょう。

職場であれば上司のさらに上の上司、多くの同僚、加害者に近しい立場の人間です。

求心力を失うことを恐れる上司は少なくないからです。

弁護士を利用する

少々大袈裟に感じるかもしれません。

しかし、学校や職場での虐めにはこれをお勧めします。なぜなら、加害者や虐めの実態を隠蔽したい企業や学校からすれば、事が大きくなるほどに不都合だからです。

最近は学校の虐めにおいても弁護士を利用する人が増えていると聞きます。

社会人が弁護士の利用を視野に入れるのはもちろんのこと、学校に関することでも解決策を提示してくれます。

相談までなら無料という事務所も多く、基本的には着手金に10万〜20万ほどがかかりますが、経済的に可能であるならば、解決の可能性が高い手段なので、利用することをお勧めします。

実際にあった私の体験談

私が初めて虐めを受けたのは13歳の中学校の頃でした。当時、家庭事情もあり、部活を休みがちだった私は、部活の先輩たちから集団での嫌だらせを受けたことがあります。

言葉の暴力に身体的暴力、人格否定に無視、顧問の先生は当然見て見ぬ振りです。

もちろん事情は顧問にも説明しましたし、先輩にも直接説明しましたが、駄目でした。

先輩といえど、所詮14歳の子供たちに家庭事情の深刻さなど理解できるはずがなく、ただ部活に来ないやつというレッテルと事実だけが残ったのです。

当時は本当にバスケットが好きで入部しましたが、事情が理解されないことを機に、私は本当に部活をサボるようになりました。

同級生は先輩に逆らえませんので、当然ですが相談対象になりませんでした。

唯一親友だと思っていた、当時最も仲の良かった友達すら、保身のため私の元から去っていきました。

私は独りになりました。

教師にも友人にも親にも助けが望めない中、それでも進路に響くからという理由だけで部活を辞めることでもできない、そんな苦渋の板挟み状態だったのです。

私はバスケットボールが嫌いになりました。

上級生が卒業後、ようやく解放された時は心の底から嬉しかったのを覚えています。

この虐め体験で私が得た学びとは、

  • 自分にとって真の理解者とは、やはり最後まで自分だけ
  • 他人に必要以上の期待を寄せることは間違い。人は良くも悪くも変わるものという事実。
  • 虐めに対処する考え方や手段を持たなければ、この先社会でも生き残れないという恐怖。

でした。

今に思えば、この時から、私の中で自分を取り巻く社会という景色が一変したのだと思います。

行動力の起源だったかもしれません。

これは綴るだけでも辛い過去の体験ではありますが、この体験もまた、今の私を構築する重要な要素であることは間違いないのです。

まとめ

いかがでしたか?今回は社会問題にも多々取り上げられる「虐め」をテーマに、私自身の体験談も踏まえて、実際にするべき考え方や行動について綴った内容でした。

虐めを受けた経験者なら痛いほどよくお分かりでしょうが、本当に辛いですよね。

残念ながら虐めはなくなりません。しかし予防や救いの方法は必ずあります。

今回の投稿が、虐めに苦しむ読者の方にとって、解決の一助になれば嬉しく思います。