昔から親と仲良くできません。イライラするし、嫌なことばかり思い出します。これって毒親ってやつなんでしょうか?
正常ですよ。親と一定の距離を取りたい、そう思うのは自分の中に「こう生きたい」という自立心があるからこその感情ですから。
僕は自分の子供とはずっと仲良くいたいと思っています。どうすれば良いですか?
毒親と呼ばれないためには幼少期の子供との関わり方重要です。まずは毒親のことを理解しましょう。
近年、「毒親」「親ガチャ」という言葉をよく耳にしますよね。
一般的に知られているのは、子供は親を選べないし、教育上適さない親に育てられると人生そのものが上手くいかなくなるという意味ですね。
しかし、毒親という言葉を正しく理解している人は多くありません。
自分に不都合な親=毒親という誤った解釈だけが、世間で一人歩きしているような印象さえ窺えます。
この毒親という言葉、正しく理解しておかないと、将来、無自覚に自分も毒親になる危険性があるのです。
今回の記事を読めば
- 毒親とは何か
- 自分も毒親にならないためにはどうすればいいのか
- 毒親を持つ人はどう生きていけば良いのか
これらを知ることができます。
毒親タイプ4選。あなたもアダルトチルドレン?
皆さんは「アダルトチルドレン」という言葉をご存知でしょうか?
言葉の印象からは「子供っぽい幼稚な大人」と思う方も多いはず。しかし実際の意味はそうではありません。
アダルトチルドレンとは「子供時代が短すぎた成人」という意味です。
ちょっとよくわからないですよね?
さらに換言すれば「大人びた子供」「子供でいることが許されなかった子供」です。
子供の頃、両親に何かと気を遣って、本音が言えなかったり、悩みを相談できなかったり、わがままを言いたくても言えなかった。
そんな経験はありませんか?
両親に気を遣い
- 子供ながらに聞き分けの良い、大人な自分を演じなければならなかった。
- 「良い子」でいなければならなかった。
- 無垢な子供でいることが許されない環境だった。
そういった経験を持っているあなたは、もしかしたらアダルトチルドレンであり、親もまた、無自覚な毒親であった可能性があるということです。
人生に生きにくさを抱える、このアダルトチルドレンを生み出してしまうのが毒親という存在であると私は考えています。
虐待をする親以外に、毒親と呼ばれるタイプには次ような種類があります。
タイプ1:過干渉で支配したがる親
「あれをしなさい」「こうじゃなきゃダメ」と、何かと子供を自分の都合の良い方向へ誘導してしまう親のことです。
学校で頑張って作った工作作品を見せても、褒めるどころか
「私ならこうしたのに」「ここ、もっとこうした方がいいわ」
とまるで審査員のように減点部分を列挙する。
子供が欲しかったのは作品の出来栄え以上に、頑張って作ったという努力と、その達成感を共有して欲しいという思いなのに。
子供が求めているのはアクションではなく、リアクションなのです。
このタイプの親の特徴は、子供の成功というよりも、自分自身の満足感や安心感のために行動することが多いということです。
子供が母親の満足いくような結果になるよう、母親自身がなんでも先回りしてお膳立てをする。
教育熱心な親にはよくあるタイプと言えるでしょう。
子供が「制服が可愛いから高校はB高校がいい」と言えば
「そんな理由で高校を選んじゃダメよ、A高校の方が教育がしっかりしているし、A高校にしなさい」と口を出す。
別に良いのでは?とも思ってしまうやりとりです。
制服が可愛いや、仲の良い友達と同じ高校という理由だって立派な動機であるはずです。
些細な理由かもしれませんが、それが明るい高校生活を思い描き、勉強や自立へのモチベーションにつながるのなら、何も悪くないのです。
ですが、毒親気質な人はそれが許せないのです。
学歴の低いところへ行けば、友達の質も悪く成績が下がるかもしれないとか、大学受験にも影響が出るとか・・・
親は自分の思い描く「理想の我が子像」からかけ離れるような言動が許せないのです。
こういった状況が長く続くと、子供は進路に迷った時や、成人になった後も、自分は何がしたいのかわからなくなってしまうのです。
選択の自由を奪われ続けた子供が、ある日突然重大な決断を下せるはずがない。
知らず知らずに自信を奪われてしまった子供に、自分の将来を選ぶ勇気が湧くはずがない。
これまでの人生における、ずべての選択肢が
「親にとって良い子になれるのはAとBどちらかな?」
という基準になってしまっているのです。
近年、アダルトチルドレンのケースではこのパターンが非常に多く、成人になってからも自分の生き方に苦しむ人が多くいるのです。
このケースの最も怖いところは、多くの人が母子共に無自覚であるということです。
こう言った子供は、相対的に、幸福度の低い人生を送ることになるのです。
タイプ2:無視・無関心で子供を好きになれない親
過干渉の例とは正反対に、子供に対して無関心であったり、過度に放任主義、子供を好きになれないというタイプです。
子供のことが好きになれない、というのは独身の頃は誰にでもあることです。
かくいう私も、若く独身時代には子供という生き物がどうにも好きになれませんでした。
不衛生で、うるさく、理屈が通らない、将来結婚しても子育てしている自分など全く想像できないほどでした。
しかし大切な人と結婚し、その大切な人ととの間に子供が欲しいと思うようになり
生まれてからは1分1秒でも長く子供と一緒にいたいと思えるようになったのです。
このように、環境が変われば、人の脳は自然と女から母へ、男から父へと変わるものなのです。
しかしそうではない人もいます。
子供の頃に十分に親に甘えることができなかった、我慢して大人にならざるを得なかった
そんなアダルトチルドレンな人は、我が子ですらどこか他人事のように思えてしまうのです。
なぜなら、自身が幼少期に甘えられなかったのに、まるで当然のように甘えてくる我が子に対して、不公平感を感じてしまうからです。
当時自分は我慢したのに、どうしてこの子はこんなにわがままなんだと。
それが子供の普通であるという認識が持てないのです。
従って、子供らしくする子供が受け入れられない。
それが結果として無関心な親、過度に放任する親に変わるのです。
昨今、密かに社会問題となりつつある愛着障害(母子の愛着形成)の一旦でもあります。
子供との時間が少なくなれば、愛着形成が不十分となり、甘えきれなかった子供が将来的に親に対する怒りを持つようになる。
毒親となった子供は、自らの育った環境を我が子にも同様に与えてしまう。
やがて毒親は連鎖していく
このように毒親とは無自覚に出来上がるものなのです。
タイプ3:そもそも甘えられない、心の病を持つ親
うつ病、統合失調症、境界性パーソナリティ障害、パニック障害、社会不安障害、等々・・・
近年、診断こそ受けていないが、その実、精神疾患を抱えた人間というのは非常に多いとされています。
例えば極端に気分の波が激しい不安定な親がいたとしましょう。
子供は常に気を遣い、親の愚痴に対して求められている言葉を一生懸命考えて返します。
聞き役に徹して優しく慰める。
いわゆる親と子供の関係が、完全に逆転しているケースです。
親からすれば「親思いの優しくて良い子」程度に映るかもしれません。
しかし、子供の方はと言えば、そんな親相手に本気で甘えることもできず、本音や怒りなど出せるはずもなく・・・
ましてや悩みなど相談できるはずがないのです。
この状態で母子の愛着関係が正常に構築されるはずがありません。
幼少期の母子関係において、愛着関係の有無はその後の人生そのものを生涯にわたって左右する大きな影響を持ちます。
子供にとって本気で甘えることができない親
というのは、将来毒親として認定されてしまう、何よりもの要素なのです。
タイプ4:子供の前で喧嘩する面前DVの親
夫婦喧嘩はどの家庭にもありますよね?
しかし、感情に任せ、我が子の前でパートナーを罵る行為はお勧めしません。
なぜなら、それには「面前DV」という歴とした虐待名がついており、子供に消えない傷を残す行為だからです。
一般的には、子供の前で父親が母親に暴力を加えるなどの身体的DVで例えられます。
しかし、子供の前で激しい口論をしたり、罵詈雑言を交わし合うような口喧嘩もそれに含まれます。
理由は母、父、共に子供との愛着形成に大きく悪影響を及ぼすからです。
両親が目の前でお互いを否定し合う。幼い子供がそんな両親の姿を見て何を思うでしょうか?
それどころか、相手に見えないところで
「あんな大人にはなってはダメ」
と、自身が傷つけられた体験を言って聞かせたら、子供はどう思うでしょうか?
子供は可哀想と感じる親には不安や憐れみを覚え、酷いと思う親には強い怒りと不信感を持つようになります。
結果、素直な気持ちで両方の親を愛せなくなるのです。
そればかりか、家庭に広がる険悪な雰囲気が、自分のせいであると思い始め、幼くして甘えることを諦めてしまうのです。
そのような醜い話を聞かなければ、その子供は両親のことをもっと素直に愛し、心を開いて関わることができたはずなのです。
こう言った体験によって歪められた両親への愛情は、健全な愛着形成を困難にします。
事実として、暴力を振るうような本当に酷い親であるならば仕方ありません。
ですが、子供を自分の味方につけたいという身勝手な理由と、パートナーに対する主観的で一方的な感情を子供に押し付けることは間違っているいうことです。
大人であれば、子供を巻き込まずに自分たちで解決するのが、成熟した健全な対応なのではないでしょうか。
味方につけようとパートナーの愚痴を子供に語り続けた結果、子供は「自分は親のゴミ箱」と認識してしまいます。
結果、子供の心は親から離れていくのです。
今や社会問題。愛着障害が人生を左右する
愛着障害、という言葉がこのブログでも度々登場しましたが、おそらくは殆どの人が初耳なのではないでしょうか?
心理学や教育の分野では有名ですが、今までこの問題が大きく取り上げられることがなかったためです。
愛着形成というのは、主に母子の健全な信頼関係を指します。
愛着形成は0歳〜2歳頃までに基盤が形成されます。この時期に母親といかに親密な関係を築けていたかが重要なのです。
子供は母親を安全地帯とし、母親を拠点に自分の安全なテリトリーを冒険して拡大していくのです。
子供が安心して挑戦し自分の世界を拡大していけるのは、母親という絶対的に安心できる場所があるからなのです。
愛着形成が十分な成人は、ストレスにも強く、自己肯定感が高く、何事にも前向きな傾向にあります。
しかし、この母子の愛着形成が不十分だと、子供は常に不安で怯えたままの状態で社会を彷徨うことになります。
結果、子供は何をするにも挑戦を避け、失敗を避け、人と本気と本音でぶつかろうとしません。
常に相手の顔色を伺い、忖度ばかりで本音が言えず、長いものに巻かれることでしか生きられない。
自己肯定感が低く、自分の可能性を信じられない。
大人になった今でも、停滞したまま、自分の世界を広げられなくなってしまうのです。
こうした大人は決して少なくありません。
自分らしく生きることができない・・・
そんな社会に対して窮屈さを感じているのであれば、それは幼少期の愛着形成が関係している可能性があります。
何かしらの理由で、本気で親に甘えることができなかった、全力で子供を満喫できなかった、そんなアダルトチルドレンの一人なのです。
そう言った意味では、愛着障害というのは、全ての発達障害や精神疾患の基盤とも言える障害なのかもしれません。
自分も毒親にならないためにはどうすれば良いのか?
ここまでの話で、
- 「自分は毒親かもしれない」
- 「自分の親は毒親だったのかもしれない」
- 「自分はアダルトチルドレンかもしれない」
と感じたことでしょう。
それだけ、水面下で広がる重大な社会問題だということです。
しかし、絶望論ばかりではありません。
我々人間は自分の考え方一つで、変わることができるからです。
毒親にならないためにすることは
- まずは自分に毒親の可能性があることを自覚すること
- 子供と親が本音でぶつかれる関係を築くこと
- 子供の意思を尊重し、支配しようとしないこと
- 放任ではなく、子供と適度な距離を取ること
- 時間と手間をかけて根気よく付き合うこと
我々人間は本来自由を求める生き物です。
自分を操作するコントローラーは、常に自分が握っていたいと思うものなのです。
しかし、子供はまだ真っ白な存在。善くも悪くも染まる存在です。
子供が自由に自分らいく生きられるよう促し、誤った方向へ行こうとした時、どの都度軌道修正してあげる。
決して自分の人生のやり直しを押し付けてはいけません。
自分と子供は全くの別物であり、一人の人間であるという前提を忘れてはいけないのです。
そして子供との愛着関係とは一朝一夕で築けるものではありません。
根気よく、思いやり、手間と時間をかけて地道に関わることでしか育まれないのです。
もし母子の絆が崩れた時は、もう一度子供を授かったときの気持ちに戻り、そうした気の長くなる努力をやり直すしかないのです。
子供との絆に、近道などないことを知っておきましょう。
毒親を持つ人はどう生きていけば良いのか
ここからは、筆者である私の考えや価値観も多く含めた内容になります。
そのため、「こういう考え方ものあるのか」という一つの参考例として読んでいただけると幸いです。
少なからず、自分の親にも毒親としての要素があるというのは、誰もが感じるところでしょう。
親も同じ人間ですから、完璧に育児をはたせる人はいません。
ですが、そんな毒親の見えない呪縛から、成人した今もなお、抜け出せずにいる人も多いのではないでしょうか?
毒親という言葉が一人歩きする昨今、親の愛情が重いからと、何でもかんでも毒親認定することが正しいとは思いません。
それは親の愛情や信頼を酷く裏切る行為でもあるからです。
今の自分がうまくいかない理由を、毒親という言葉を使うことで安心に変えることができてしまいます。
今の自分がうまくいかないのは、毒親のせいだと。
そう思えれば楽になれるからです。
しかし常に選択の自由は自分自身にあることを忘れてはいけません。
自分自身がアダルトチルドレンである可能性、自分の親が毒親であった可能性、それらを逃げずに受け止める。
その上で、行動や考え方を変えていくことはいくらでもできるからです。
私自身も、幼少期は家が貧しく、欲しいものも満足に欲しいとは言い難い家庭環境でした。
自分たち子供のせいで出費が嵩み、親は満足に贅沢もできていない。
本当は家族で旅行にだって行きたかったかもしれないし、親だってやりたいことがあったはず。
幼かった自分はお金を稼いで親の力になることもできない。
そんな無力さに、自罰的になりました。
いつしか本音で親に悩みを打ち明けることもできなくなり、自分が経済的に苦しめているという後ろめたさだけが残ったのです。
せめて親にとって、困らせることのない、問題のない子供でいよう。そう決めていました。
長年虐めを受けていたことも、明かすことができませんでした。
一人で抱えて処理してきました。
親に見えないところであらゆるものを我慢してきた記憶があります。
そんな心の底から子供を満喫できなかったという意味では、私自身もアダルトチルドレンの要素を持っているのかもしれません。
そんな我々アダルトチルドレンに必要なこと、それは成人した今だからこそ、親に対して健全な反抗をすることです。
それは決して攻撃的な意味ではありません。
自分の価値観を築き、自分はこういう親になりたい、こういう人生を歩むのだと、胸を張って親に伝えることです。
それは親の思い描いた、親にとっての良い子ではないかもしれません。
しかし、それは改めて心身ともに親から自立することの第一歩でもあると考えています。
このブログでは「自分だけの価値観は人生の財産である」と謳っています。
それは、私と同じように悩む読者の方にも自分らしく生きて欲しいという思いから出たスローガンだからです。
まとめ
いかがでしたか?今回は最近よく耳にする「毒親」をテーマに、その意味を正しく理解することの重要性と、向き合い方について解説してきました。
同時に毒親という言葉への偏見をなくしたいとも考えて綴った投稿でした。
親子でも、本音で言い合うというのはなかなか恥ずかしく、難しいものですよね。
怒りや批判はなお言い難いもの。ですが良いことは伝えない理由がありません。
尊敬できることもきっとあるはず。私の経験上、相手をリスペクトすることが、本音を言えるようになるきっかけと思っています。
今回の投稿が、毒親を持つアダルトチルドレンな読者の方にとって、生きにくさを知る上でのきっかけになれれば嬉しく思います。