頑張っても頑張っても一向に成果が出ません。やっぱり自分には向いてないんでしょうか・・・。このまま続けていても無駄なような・・・。
そういう時ってありますよね。本当に正しいのか自信がなくなりますよね?
そうなんですよ〜。努力は報われるって言いますけど、あれは嘘ではないかと思います。だって僕は現に、今まで報われたことありませんし。
途中でやめたくなる気持ちはすごくわかります。私も当時は幾度となく挫折の経験がありましたから。今回は私自身の実体験をもとに、今の私がどのようにして自信ある人生を手に入れたのか、挫折からどのように復活したのかを解説していきます。
一つのことを続けるって本当に大変ですよね?
一体いつまで続けるべきなのか?
不毛な努力をして時間を無駄にしているのではないか?
早々に見切りをつけて別のことに注力するべきではないのか?
そんな風に今取り組んでいるものが実らないと、ついつい不安になってしまいますよね。
一つのことを継続するのも、見切りをつけて時間を無駄にしないのも、どちらも大切なことです。
正解・不正解はありません。
今回は、挫折経験豊富な筆者が、自分自身の体験談をもとに、専門的な知見を交えて「努力とは何か?」「正しい努力の仕方」について解説していきます。
努力はやめるべき?続けるべき?
今取り組んでいることをこのまま続けるべきなのか?それとも見切りをつけて別の努力をするべきなのか?
この悩みは誰もが一度は経験しているのではないでしょうか?
しかし人生は常に二者択一です。Aを選ぶかBを選ぶか、常に分岐点に立たされます。
ですが、重要なのはどちらを選ぶのが正解か?ではないのです。
なぜなら、人間というのは既に起こってしまった出来事に対して「きっとこうなる運命だったんだな」と、後々勝手に結論づけるものだからです。
我々人間はそういう都合の良い生き物なのです。
Aを選んでも、Bを選んでも、結局最後はそれなりに上手くまとまる。
「運命」なんていう綺麗な言葉は、所詮ただの「結果論」でしかないと、私は思っています。
つまり、最も大切なのは「選ぶ勇気」だけなのです。
重要なのは、結果に近づくこと。
最終的に自分がどうなりたいのかさえイメージできるのであれば、そのイメージに最も確実に近づける方を選べば良いと、私は思います。
ネガティブな感情は、これ以上ない最大の動力源
ご存じでしたか?人間の意欲が最も向上するのは、ポジティブな感情が強い時よりも、ネガティブな感情が強い時の方だという事実を。
私が2度目の国家試験に落ちた時、周囲の人間は私をこのように批判しました。
- 「あいつは元々勉強できなかったし、多分受からないだろう」
- 「いや、もう諦めなよ。」
- 「資格ないと言葉に説得力ないしなぁ」
- 「〜っていうけど、資格ないんでしょ?」
私のいる医療の世界は資格ありきで成り立つ厳しい世界です。国家試験に何度も落第し、資格を持っていない私に、社会は決して甘くはありませんでした。
資格を持った同級生や、先を越していった後輩がプロとして活躍するのを横目に、私は常に劣等感を持ちながら下働きをしていました。
働きながら資格勉強をするのは、それはそれは大変なことでした。
日中は屈辱に耐え、帰ってきたら即勉強。
やれどもやれども、成果が出る気がしない。試験は年に1回。今年落ちたら来年はどうしようか・・・
そんな鬱々とした、うだつの上がらない毎日が何年も続きました。
そんな私が国家試験合格まで何度も挑戦し続けることができたのには、ある明確な理由がありました。
見返したい!今まで自分を散々見下してきた奴らと同じ土俵に立って、誰よりもプロらしいプロになってやりたい!あの時選ぶべきは私だったのだと、思い知らせてやりたい。侮辱したことを後悔させてやりたい。
私はそんな、反骨心と呼ぶにはあまりにも一方的で歪んだ、黒い感情を剥き出しにしてテキストを開いていたのを覚えています。泣いた回数なら多すぎて、もう覚えていません。
何度も挑戦した結果、無事に合格を掴んだ私は、知識と経験をつけることが、自分を見下してきた連中よりも前へ出られることだと確信して頑張り、誰よりもクライアントに寄り添い、どんな同僚よりもプロらしいプロに近づけたと思っています。
この経験から私が最もお伝えしたいことは、怒り、劣等感、不安といった黒いネガティブな感情は、全て自分を突き動かすエネルギーに変えてしまおうということです。
なぜなら、人が大きな成功を勝ち取る時というのは、往々にして強いストレスのかかる壁にぶつかった時だからです。
ネガティブな感情をただのストレス要因としてのみ見るのは非常に勿体無いと言わざるを得ません。
これほどまでに強力なエネルギーであるならば、目的達成のために利用しない手はないからです。
「努力=長時間」は間違い。「努力=工夫」こそが認められる。
私がまだ学生だった頃、実習先の指導者に教えられた教訓があります。
それが努力=工夫であること。
それまでの私は、努力することは誰よりも長い時間をかけて、成功に向けて取り組むことだと思っていました。
しかし社会に出て、実用的に評価されるのは、与えられた、限られた時間の中でいかに成功に向けた工夫ができるかというものでした。
「10000時間の法則」にもあるように、長時間を費やせば誰もが熟練した達人になれるかもしれません。
しかし、社会は個人にそんな時間を与えてはくれません。
限られた時間の中で成果を出すためには、自分なりに効率を求めた工夫が必要なのです。
時間のコスパが良くなれば、余った時間でさらに別の結果を出すための活動が可能になります。
「昨日寝ないで頑張りました!」という人を見かけます。寝ないで頑張ったのは結構ですが、結局それに見合うだけの結果がなければ、それは努力として認められない。残酷ですがそれが社会だということです。
つまり、努力が認められる人は自分なりの創意工夫ができる人、これを覚えておきましょう。
努力にエネルギーを使いすぎない「8:1:1ルール」を活用!
特に若いうちは何でもがむしゃらに行動します。私もそうでした。
それは良いことです。しかし本当に認められるプロフェッショナルというのは同じ価値を継続的に提供し続けることができるものです。
全力疾走はいつまでも続きません。
私の経験上、常に全力疾走で出してきた結果は必ず途中で失速します。
そこで私がお勧めするのは、「8:1:1ルール」というもの。常に努力は80%にとどめた結果にするというものです。
これは言い換えれば「完璧主義をなくす」とも言えるでしょう。
エネルギーの内、80%を課題に注力し、10%は課題のイレギュラーに備え、10%を気持ちの余裕に空けるというもの。
これは個人の主観によるものなので、あくまでも目安としておいてください。
具体的には私生活にその仕事を持ち込まないと覚えましょう。
生活あっての仕事、という大原則を忘れ、帰宅後も仕事に没頭してしまうとライフ・ワークバランスが崩れてメンタルが不安定になってしまいます。
その仕事が大好きで、趣味も兼ねているというのであればまだ話は別ですが、そもそも辛いのであれば、ON・OFFのメリハリはしっかりとつけるようにしましょう。
私がお伝えしたいのは、自分が継続できるだけの余力を残しましょうということです。
やらなくて良いことなどの無駄を省き、より結果への近道を考えるようにしてみましょう。
常識人間は要注意!ラテラルシンキングを使いこなそう!
ラテラルシンキングとロジカルシンキングという言葉があります。
ロジカルシンキングは論理的思考・または正攻法という意味を持ちます。
一方のラテラルシンキングとは自由発想・奇策という意味で訳されます。
ロジカルは日本社会で広く使われる考え方であるのに対して、ラテラルは欧米人が得意とする印象を受けます。
画期的なイノベーションなどで革命を起こす企業がアメリカに多いのも、このラテラル思考が通りやすい社会であることの証明なのかもしれませんね。
なぜ、「努力」をテーマに、私がラテラルシンキングを進めるのか。
それは正攻法だけでは解決できない問題や、努力が実りにくい事例が多いからです。
理由は、より少ない資源と短い時間の中で、最も効率よく最善の結果を出せるかが、問題解決のポイントであるからです。
これをラテラルな思考だとすれば、ロジカルな思考は、良い結果を出すために良質で豊富な資源を用いて、じっくり時間をかけてより高品質な結果を出すことと言えます。
しかしそんな悠長な時間をくれるほど、社会は優しくありません。
強豪が多いジャンルでは、よりラテラルな考え方ができなければ、一つ頭の出た存在にはなれないからです。
例えば、歴史で振り返ってみましょう。
織田信長が断崖絶壁を馬で駆け下り、予期せぬ場所から奇襲をかけて今川家の軍勢を討った話は有名です。
当時では、まずそんなハイリスクな戦略を取る武将はいませんでした。
相手の予想を超える奇抜な発想が勝利を勝ち取った事例です。(歴史に詳しくない方はごめんなさい)
数で劣る織田信長がロジカルな正攻法で真っ向から勝負を挑めば間違いなく負けていました。
彼は今持っているカードで、勝利への最短方法をとったのです。
世の中には、このようにロジカルな考え方だけでは解決できない問題は数多く存在します。
そんな時、あなたにとって強い味方になるのが、型に囚われない自由な発想なのです。
成功は、成功するまで続けるから得られるもの
日本の某有名な家電メーカーの創業者であるM氏はある言葉を残しています。
「成功とは成功するまで継続することである」と。
つまり、なぜ成功できたのか?という質問は意味がないということです。なぜなら、やることはただ一つ。成功するまで何度でもやり続ける、これだけだからです。
この言葉を紹介したのは、決して全てにおいて肯定し、読者の方に強く推奨したいからではありません。
なぜなら、私個人はなんでも闇雲にやり続けることが必ずしも幸せなことだとは思わないからです。
これは私の価値観です。
あくまでも私個人が、自分の人生観に強く共感したから載せました。
一つのことを継続する先に、このような成功者もいる。
そういう一例として知っておくことをお勧めします。
見切りをつけるタイミングは「直感」が教えてくれる
私のブログでは、人生に必要な自分だけの折れない価値観作りに必要な5ステップをメインテーマに挙げています。
そのうち、第2ステップ「直感を信じよう」では、直感が最も本能的に機能するアンテナであると称し、自分の直感を信じて選択することをお勧めしています。
(参照:精神科セラピストが教える、自分だけの価値観作りで、人生をもっと楽しく自由に生きよう!5つのステップ。)
私がなぜ、今取り組んでいることに見切りをつける指標として「直感」という言葉を用いるのか。
それは自分が楽しくないことを続けても、遅かれ早かれ、いずれ何処かで挫折してしまうからです。
成功者はみんな、仕事が趣味であるかのように楽しんでいるという話を聞いたことはありませんか?
人間、好きなことには時間を忘れて没頭できるのです。
そこまで熱烈なものに取り組めるなら越したことはありませんが、少なくとも、やっていて何も楽しくないことを続けても、結局何処かでやめてしまうものです。
なぜなら、続けるだけの情熱が、そこにないからです。
人は情熱無くして継続することはできません。
だからこそ、最初の選択がとても重要なのです。
自分の限られた時間と労力と資金を、一体何に注力させるのか?という選択です。
その時、私は自分の直感に従っています。
自分の直感が動くものであればやり、直感が動かないものには1円、1秒、指一本の労力すら投資しません。
始めても途中で飽きては放り出してしまうことが目に見えているからです。
私が直感によって判断している基準は「心躍るかどうか」です。
この直感、実は恐ろしく的中します。
自分の直感が動いたものは、その後もやはり継続しやすいのですが、初めから何の直感も感じなかったものに関してはやはり途中でやめてしまうことが多く、やめたとしても後悔すら感じないのです。
直感は人間の最も本能的に働くアンテナです。
もし、選択に迷ったら、自分の感情が動く「直感」に聞いてみることをお勧めします。
まとめ
いかがでしたか?今回はやってもやっても努力が実らず、自信を無くしてしまっている人に対して、努力とは何か?努力の仕方、私自身の実体験から得た克服法などを解説してきました。
人生、限られた時間の中で自分に合ったものを見つけるのは本当に難しいことですよね?
挫折してはやっぱり自分の努力は間違っていたのだと、自分を責めてしまうことでしょう。
私も未だに迷子になることがあります。しかし、どうせ努力するなら、しっかりと自分の将来につながることをしたい。
そのためには選ぶ勇気と、自分なりの正しい選び方、力の注ぎ方を身につけておくことも大切だと思うのです。
今回の投稿が、そんな実らない努力と挫折に苦しむ読者の方にとって、少しでも勇気づけになれば嬉しく思います。