私は昔から人間関係がとても苦手です。嫌われるのが怖くて、いつも不安です。どうすればもっと気楽に人と付き合えるのでしょうか?
人間関係の悩みって切っても切り離せない問題ですよね。多くの書籍などでは相手と上手に付き合うための方法が書かれてますよね。
はい、色々試したのですが、やっぱり自分にあうものが見つからなくて・・・
では一層のこと開き直って全部吐き出してしまうのはどうでしょう?
開き直る・・・??吐き出す??
そうです。今日解説するのは相手に向けた方法ではなく、自分に向けた方法です。
学校に会社、この社会の様々なコミュニティーで生きる皆さんは、日々生きづらさを感じている方も多いですよね?
私もそのうちの一人でした。
長年虐めを受けた経験のある私も、根本的に人を信用できず、相手と深い関係になることができませんでした。
しかしその原因を理解してからは、そう言った対人関係における不安や緊張は軽くなり、気楽に人と関われるようになったのです。
その方法はたった一つの考え方を変えただけでした。
結論:「これが自分だ!文句あるか!」という姿勢で関わる
「これが自分だ!文句あるか!」と開き直って相手と関わることです。
それができないから困ってるんですよ〜
でしょうね。
それもそのはず。人は必要以上に自分を曝け出すことが怖いものです。
おいそれと内面を出せば、それに幻滅した相手は自分から離れてしまうのではないか?
そんな不安があなたを縛ってしまうからです。
しかし本当にそうでしょうか?
人間の人格や性格は十人十色。一人も同じ人はいません。
あなたが慈愛に満ちた相手に尽くす善人であろうと、自分のことしか考えられない身勝手人間であろうと
あなたを嫌う人は嫌いますし、好いてくれる人は好いてくれます。
人間関係で不安や悩みの多い人は、そもそも相手から絶対に嫌われてはいけないという先入観のもと生きているのです。
それは子供の頃から学校などで「協調性」という生き方を強く教え込まれてきたからでしょう。
ですが、心理学上、全ての人間に好かれることは絶対にあり得ませんし、逆に全ての人に嫌われることも絶対にありません。
なぜなら、人はどんな状況やどんな人間性を持っていても、それを肯定する人と、否定する人が必ずいるからです。
時間と労力を無償で提供するボランティア活動ですら、「偽善者だ!」と心ない意見を持つ人がいるのです。
逆に、犯罪を犯した人でさえ、それを英雄視する人もいる。
様々な価値観が複雑に入り混じる、それが人間社会です。
嫌われないように自分を演じるよりも
逆に嫌われてもいいと思いながら、自分の良い所もダメな所も全て曝け出したほうが、様々な人から愛されるものです。
従って、その都度相手に嫌われないよう神経をすり減らすことに、あまり意味はないと考えています。
自分を実像以下に見積もって見せたり、好きでもないことを無理に好きと言ってみたり・・・
人と関わるたびに、自分に嘘をつく生き方が心地よいはずがないのです。
ならば一層のこと、自分がどういう人間なのか、初めから全てさらけ出してしまえば良いのです。
そうすることによって、本当に自分を理解してくれる、同じ価値観を持った人だけが残ります。
例えるなら、何が売ってるんだろうという雑貨屋から、これが欲しいという専門店に自分を変える印象でしょうか。
あなたという商品を欲しがる人だけがあなたの元にやってくるようになるのです。
私自身はこの生き方に変えて以降、人間関係が嘘のように楽になったのを今も実感しています。
広く浅く、無闇に広げていた人脈は、大幅に狭まってしまいます。
しかしそう言った存在するだけの人脈に実用性はありません。
本当に自分の人生を豊かにしてくれる、そんな心許せる人はほんのひと握りだからです。
人は分からないものには警戒する
人間は自分の理解を超えたものや曖昧なもの、見えないものなどには警戒するよう本能的にインプットされています。
なのであなたがもし、周囲に信用されていなかったり、なかなか親しい間柄になれないという悩みを持っているのなら、それは相手があなたのことを理解できていないからです。
逆を言えば、あなたが他人に「私はこういう人間ですよ」と自分のことを自己開示していないから。
まずは人間のこうした本質について理解しておきましょう。
方法:「効果的な自己開示」でギャップを使いこなそう!
「これが自分だ!」という姿勢をみせるわけですから、まずは自分のことを広く公開していくわけです。
でも効果的な自己開示ってなんですか・・・??
ってなりますよね。
自己開示は文字通り、自分のことを周囲に開示していくことです。
そうすることによって「そうか、あの人はそういう人なのか」といち早く、より詳しく相手に理解してもらうことができます。
ですが、ここで注意しなければならないのは、ただ闇雲に何でも言えば良いというわけではないということです。
あえて効果的という言葉を使ったのは、開示する情報の順番とタイミングに、少々コツがいるからです。
コツとか面倒くさそう・・・💦
と思われるかも知れませんが、これは男女問わず、年齢も関係なく即実践できる方法です。
それがギャップを意識することです。
ギャップの本質は「この人にはこんな一面もあるんだ!予想外!」と相手に思わせることにあります。
ギャップは作るものと思われがちですが、実はギャップとは人間であれば全員必ず持っているものです。
それを使いこなすというのは、情報開示する順番を意識することで容易く作れるのです。
まずは、学校や職場で、今あなたがどういうキャラクターで印象づいているのかをリサーチしてみましょう。
真面目な優等生キャラか、不真面目ないい加減キャラか、厨二病でもいいし腐女子でもいい。
まず先行イメージとして定着しているキャラクターを把握したら、次はそれと真逆の一面を開示してみましょう。
私生活がだらしないで有名な人が、学業や仕事になった途端キリッとした取り組みをみせたらどうでしょうか?
私生活がだらしない=勉強や仕事もテキトー
という周囲のイメージを壊すことができます。
スポーツが好き!で有名な人が、実は休日ポテチとYouTubeで1日だらだら過ごしていると聞いたらどうでしょう?
スポーツ大好き!=休日は筋トレとプロテインでストイックに
という周囲のイメージは壊れます。
私の知人には登山が好きな人がいますが、休日の過ごし方を尋ねると「絵を描いてる」というギャップ持ちがいます。
私はてっきり、外出したりアクティブな私生活をイメージしていましたが、どうやら全く違ったようです。
このように、人というのは自分の中の印象だけであなたを勝手に判断しているということです。
効果的な自己開示とは、この開示の順序を工夫するギャップ作りの繰り返しだけなのです。
これによって何が変わるのか??
それは相手が自然とあなたに注目し、不思議と存在感を与えることができる点にあります。
人は自分の理解を超えた、ミステリアスなものに惹かれる習性があります。
人は「これはこうだ!」と思っていたものが「実はこうだった!」という状況が大好きなのです。
この心理を応用したものがこの「効果的な自己開示」、ギャップ操作なのです。
愛されるための法則「短所は全てさらけ出せ!」
人は嫌われないために、人から良く思われるため、日々必死に自分を演じています。
それは誰もが同じこと。
しかし、演じれば演じるほど、空回りして、矛盾が生じ、どんな自分を演出したかったのか、わからなくなっていく。
この社会では、演じなければ人から好かれない・・・
そんな誤解をしている人がほとんどです。
ですが実際は全くの逆です。
演じるほどに、あなたの正体が相手に伝わりにくくなり、信用されず、人は離れていきます。
「あの人は本心を決して話さない」「他人を信用できない人」
というレッテルを貼られてしまうのです。
他人の弱い部分を知れば、自然と親近感が沸き、応援する人も増えます。
自分の短所や弱点を見せるということは、もしかしたら相手が自分に幻滅して離れてしまうかも知れないというリスクを伴います。
だからこそ、自分から短所を曝け出し、笑いにすら変えられる人というのは、真に勇気がある人なのです。
なぜなら、自分を曝け出す行為は、他人を信用していなければ、決してできないことだからです。
短所を「弱点」であると勘違いしたまま、いつまでも自分の中に留めておくから、いつまでも短所のまま重荷なのです。
短所こそ、堂々と曝け出し、それを他者貢献のために利用するくらいのハングリーさを持ちましょう。
短所が誰かの役に立てば、それはそのままあなたの長所に変わるのだから。
つまり、長所と短所というのは、コインのように表裏一体ということです。
我慢しない生き方が自分らしさを作る
この社会ではあらゆる制約によって、自分らしく生きることが難しい状態です。
こと人間関係においては我慢の連続です。
アドラー心理学でも有名な言葉に、「全ての悩みは人間関係に通ずる」というものがあります。
まさしく、このストレス社会で悩みの1番の元凶は人間関係といっても過言ではありません。
そんな中、自分らしく生きるとはどういうことか
それは自分だけの価値観を築くことです。
これは、このブログの根幹を成す考え方です。
情報に溢れるこの社会、誰もが他人の考えや価値観に振り回されて生きています。
本当の意味で自分だけの価値観を構築できている人というのは、本当に少ないのです。
結果として自分が本当に好きなもの、やりたいこと、なりたい姿がわからず、他人に体よく利用され、我慢を重ね続ける生き方をしてしまうのです。
精神科セラピストが教える、自分だけの価値観作りで、人生をもっと楽しく自由に生きよう!5つのステップ。
↑こちらの記事も合わせてご参照ください。
自分を極限まで開示して生きるのはとても勇気がいることです。
しかし、いざ開示してみると、この上ない開放感と、社会の本当の窮屈さに気づくことができます。
まさしく檻から解放された気分です。
自分の好きなものを「嫌い」と言い。嫌いなものを「好き」と偽る。
そうまでして付き合うほど、重要な人間関係とは例外を除いてはないものだと、私は思っています。
「協調性」という言葉に縛られすぎないこと
人が怖い、人間関係が不安な人というのは、この「協調性」という言葉を極端に意識しているとも言えます。
前述したように、我々は子供の頃から学校で和を乱さないことを徹底して教育されます。
- 他人に迷惑をかけてはいけない
- 皆と同じことができなければならない
- 言われたことには従順でなければならない
学校や社会では、こういった人間が「良い人」「良い子」であり、「協調性」のある人なのです。
しかし、それはこれからの時代にはもう捨てるべき考えであると、私は確信しています。
なぜなら、そこに個性は何一つ反映されないからです。
今の社会は個性を抑えて、周囲に合わせることが「協調性」と思われていますが、そもそもの言葉の本当の意味はそうではありません。
「協調性」とは思想や立場の異なる人同士が、同じ目的のために、互いに譲歩したり助け合ったりすることを言います。
この本来の意味の中に、どこにも好きでもないことに迎合したり、個性を抑えなければならないという言葉はないのです。
「協調性」という言葉は、私にとってはある意味「病気」と同じです。
そこには、自分が自分でいられなくなる怖さが、明確にあるからです。
だからこそ、我々は自分に嘘をつかない、そんな開かれた生き方を模索する必要があるのです。
相手に合わせることだけが、嫌われないように振る舞うことだけが、正しさではありません。
自分をいう人間を正しく理解してもらうためには、自分の内面を曝け出す行為はとても重要な役割を持っているのです。
まとめ
いかがでしたか?
今回は切っても切り離せない、そんな人間関係に悩む人にとって、自分らしく生きるためのたった一つの法則を解説しました。
それは、他人の迷惑を顧みず、嫌われながらも身勝手に生きるという意味ではありません。
この誤った協調性という言葉が溢れる社会で、自分らしく生きるとはどういうことなのか?
そのための具体的な方法はなんなのか?
ということをお伝えしました。
以前の私のように、人間関係に悩む人は多くいますよね?
今回の投稿が、そんな他人に合わせすぎて生きづらさを感じている読者の方にとって
少しでも気楽な人間関係を築いてもらう、きっかけ作りになれば嬉しく思います。