聞いてくださいよ!先日会社で上司から「お前はこんな仕事もできないから彼女ができないんじゃないか?」って笑われたんですよ!
それは酷い。最近はハラスメントが社会問題として取り上げられて、以前よりはパワーハラスメントを意識する企業も増えたようですね。でも未だに悩んでいる人は多いようです。
なんでパワハラってなくならないんでしょうか??
そもそもの良識なども個人によって様々ですが、一つの要因としては世代間の価値観のズレがあると言われています。
世代間のズレ・・・??
世代によって社会で過ごしてきた「生き方」が大きく異なります。この価値観の根本的なズレも、無自覚なハラスメントの要因なのです。それは相談者さん自身も例外ではありませんよ?
え・・・?僕は後輩に接する時も気をつけていますが・・・。
相談者さんの時と今とでもすでに価値観は少しずつ変わってきています。相談者さんも無自覚に、今の若者の価値観に反したことを言っている可能性はあり得るのです。今の若者の価値観も理解した上で「良い先輩」でいられるよう解説していきます。
ハラスメントな考え方4選
「若者のメンタルが弱い」という考え
- 「俺の若い頃は理不尽に殴られるのは当たり前だった」
- 「怒られたくらいで退職するなんてメンタルが弱すぎる」
等々・・・。今現在主力として働くみなさんも、当時は数々の辛い経験を乗り越えてきたからこそ、今の働きがあるのでしょう。
しかし、今の若者のメンタルが弱いというのは本当でしょうか?
少なくとも、私は職場で多くの若手社員と話す機会がありますが、彼らから相対的にメンタルの弱さを感じたことはありません(中には極端に弱い人もいますが)。
確かに、10年一昔前と現代とでは、社員への教育方法が変わってきたのは事実です。
怒らずに褒めて伸ばす、失敗ではなく成功体験をつけさせる等。
以前自分たちが受けてきた理不尽な教育というのはあまりみられなくなりました。
それはようやく社会がハラスメントというものに理解を示し始めた証拠だとも言えます。
しかし「若手が強く成長するために、試練として理不尽を与える」という考えの人は意外に少なくありません。
ですが、「理不尽に耐えられなければ正しく成長できない」という論理的な法則はないのです。
それは理不尽というものを必要悪として捉えてしまう危険な考え方だということです。
さらに辛辣な表現をすれば、「自分が受けた理不尽は他人も受けないのは不公平」という独りよがりな感情論さえ垣間見えてしまうのです。
そもそも理不尽からは逃げるもの、というのが前提であり、逃げずに立ち向かうのが美徳とされていた価値観はもう通用しなくなっています。
なぜなら、今雇用は「売り手市場」。
早期からフリーランスや起業で独立する若者が増えた今、企業で働く若者は少子化に輪をかけて減少傾向にあります。これからも続く若者不足は止められません。若者にとって、嫌な場所に止まり続ける理由などないからです。
理不尽や辛い体験は、学びこそあれ、無いに越したことはありません。
皆が幸せに働ける環境こそが理想のはずです。
過去、理不尽を経験してきた人たちは、今それなりに安定しているからこそ、過去の理不尽が美談になっているだけなのです。
なので、あえて理不尽という名の試練を与える必要はありません。
若手には自分なりに挑戦できる場を与え、成功を目指す過程で起きる健全な挫折や失敗を経験し、そこからの立ち上がり方を教えていく方が、建設的なのかもしれません。
「若い時の苦労は買ってでもしろ」という考え
これは実際に経験を積んだ人間だからこそ、染み染み思うことですよね。私自身もこの考えには100%反対というわけではありません。
なぜなら、過去の辛い体験や苦労があるからこそ、他人の気持ちに寄り添うことができる。
その痛みを本質的に理解できるのは、その痛みを同じく知る人間だけだからです。
ここで重要なのは、この考え方を教育の場で後輩や部下に強要してしまうのは間違いである、ということです。
苦労ならなんでもいいわけではないですよね?そもそも、しなくて良い苦労はしないに越したことはありません。
「若い時の苦労は買ってでもした方がいい」という考え方、実はこの考えを強く持ってしまう人には一定の特徴があります。
それは過去の苦労が「させられたもの」である場合の人です。
自分の意思ではなく、苦労を強要された経験が多い人ということです。
確かに人生には思い通りにならない苦難はたくさんありますが、自分の意思で、自分の目的のためにする苦難とは、往々にして楽しいものでもあるはずです。
人は自分を操作するコントローラーは自分で握っていたいと思う生き物です。
自分の手で一つ一つクリアしていき、一歩一歩確実に目標へ近づく嬉しさは一種のゲーム感覚にも似ています。
その自分が選んだ苦労なら、苦労すら楽しいものなのです。
ですが、他人からただ与えられただけの、不本意な苦労はただ辛いだけなのです。
結果としてそれが糧となり、今の輝かしい自分を作った土台だとしても、それは結果論でしかないのかもしれません。
ここで私が伝えたいのは、買ってでもした方がいい苦労とは、自分の目標のために進んで取り組めるものであるということです。
つまり、「若い時の苦労は買ってでもした方がいい」という言葉を盾に、理不尽に仕事を押し付けることはハラスメントであるということです。
「何でも強く言うことが教育」という考え方
これは現在でも、比較的若い世代で勘違いされている風潮があります。
特に初めて先輩になったり、上司になったりすると、「しっかりしなければ」という思いからついつい厳しく指導しがちですよね。私も実体験であります。
ですが、子供の教育でもよく取り上げられる「叱る」と「怒る」の違いは区別できているでしょうか?
当時はとにかく怒鳴る上司が多かった昭和・平成初期という時代でしたが、何でも強く言えば良いというわけではありません。
理不尽に強く言う人には3つの可能性があります。
- 周囲に対して「私はしっかり教育している」と言うパフォーマンス的理由。
- 相手に対して「自分が上であることを意識づけたい」と言う暗のメッセージ的理由。
- 自分も過去に怒鳴られた教育を受け「指導とはこう言うもの」と言う純粋な勘違いをしている場合。
①と②は紛れもないハラスメントですが、私の印象としては③の人が多い印象を受けます。
つまり理由なく声を荒げていると言う状態です。これはもはや悪意なきパワハラとも言えるかもしれませんが、誰も得をしない状態であることは言うまでもありません。
冷静に状況を聞くと、なぜ怒っているのか理解に苦しむ場面があるからです。
本来「怒る」と言うのはコミュニケーション方法の一つでしかありません。
人は本来怒らなくても気持ちは伝えられるはずです。
感情に任せた「怒る」ではなく、教育の場面で本当に必要なのは「叱る」方ではないでしょうか?
後輩や部下がしたミスに対して、そのミスが招く最悪の事態。その危険度を表す意味で強く言うことです。
もし、③に該当する人がいるのであれば、この区別は必要であると思います。
「年長者は敬うのが当たり前」という考え方
よく年長者は敬うこと。と教えられましたよね。
しかし、年上に敬意をはらうのと、ご機嫌を取るのとは大きく意味が変わってきます。
常に年長者の気分を害さないよう、ご機嫌を取るのはただの接待であり敬う行為とは異なります。
敬意を払うというのはその人の価値観や考え方を容認すること、認めることをいいます。
なぜ、この考え方がハラスメントなのかというと
ここでもやはり、現代人の「時間」に関する価値観が重要視されてきたことにあります。
時間の価値とは、どれだけ積み上げてきたかではなく、どう積み上げてきたかが重要な結論となります。
なぜなら、時間の本質とは「平等」「経過」です。
遊んでいても、仕事をしていても、人間に与えられた24時間×365日という概念だけは変わりません。
時間とは全ての人に平等に与えられており、いかなる時も流れ去っていくものです。
従って、現代の若者からすれば、ただ積み上げられただけの時間には価値がなく、どう色濃く積み上げられてきたのか、中身の方が重要だということなのです。
年功序列が当たり前だった従来型の日本人の価値観では、未だに「目上は無条件で敬われるもの」という考えが根付いています。
それは換言すれば、相手を年下というだけで見下している行為とも言えます。
私個人は、友人を作る際に、あまり年齢を気にしていません。
7歳、10歳以上離れた友人すらいますし、上は親世代の人もいます。
年上でも、年下でも、相手に敬意を払いながら、お互い対等に接することができる関係です。
それは、相手に尊敬できる部分をしっかりと見出しているからこそ成立するのです。
私が経験した、辛かったハラスメント2選
同僚や仲間の前で叱責される
これはもう虐めです。
部下や周囲に注意を促さなければならない場合というのはよくある話でしょう。
しかし、絶対に行ってはならないのが、周囲に人がいる状態で叱責することです。
これはかなりダメージが大きい出来事でした。
私の勤めていた病院の場合は、病棟の雰囲気自体がそう言った風潮だったので、誰もその指導者を咎めることがありませんでした。
まさしく常態化という奴です。
みんなのいる前で叱責するという行為は、ただの侮辱であり、指導者自身が「自分はしっかり指導している」とアピールするための演出だということです。
「お前のために言っているんだ」という言葉は信用してはいけません。
大勢の前で全否定されるということがどれほど辛いことか、想像できますか?
職員だけならまだしも、ナースステーションというのは患者や家族など第三者からも丸見えの状態です。
そんな中、露骨に声を張り上げて叱責するなど、私個人の信用問題にもつながります。これはもはや虐めと言っても差し支えありません。
人間は自分の人格や能力を否定されることを何よりも嫌う生き物です。
それを踏まえた上で、注意を促される側にも、最低限人間としての敬意は必要なのです。
部下(自分)の「時間」が尊重されない
最近の20代、30代の特徴として、時間に重きを置いていると言うことです。
人によっては「お金」<「時間」という人もいます。
給料は最低限生活できる分だけでいいから、自分の時間を大切にしたいという価値観です。
これは私も持っている価値観です。
働くと言うことに対して、「生活あっての仕事」という大原則があるからです。
そもそも生活を充実させるために働いているのに、その生活を犠牲にする働き方に、意義を見出せないからです。
若い人は特にこの時間に関する価値観の傾向が強いと言われています。事実私の周囲でも同様の価値観を持っている人は少なくありません。
しかし、職場によっては手当のつかない休日出勤を強要するところもありますし
明らかに勤務時間内に終われない量の仕事を与えて、残業手当も付けさせない。
「君の仕事の効率が悪い」という言葉だけで片付けてしまう。
私が当時勤務していた病院は全体の風潮としてこの状態でした。
今に思えば完全に時間の搾取だったと思います。
「飲みに行こう」も、原則言わない方が良いでしょう。
立場が上の人間がこれを言えば、立場の弱い人間はいかざるを得ない。ただ断りにくいのです。
仮に一緒に行ったとしても、それはあなたに対して好意的だからではなく、ただ保身のためだと覚えておきましょう。
呑ミニケーションはもうハラスメントになりつつあるのです。
まとめ
いかがでしたか?
今回は社会問題であるハラスメントについて、上司・先輩の方に向けて、注意していきたいハラスメントになり得る考え方をご紹介しました。
10年前と今とでは、社会の価値観は大きく変わっています。10年一昔、とはよく言いますが、本当にその通りだと思います。
私は頭の硬い先輩にならないよう、常に価値観のアップデートを心がけていますが、だからと言ってあなたも無理に自分の価値観を手放す必要はありません。
ただ古いものも、新しいものも、他人に押し付けなければ良いのです。
今回の投稿が指導者の方々に対し、後輩や部下と良好な関係作りの一助になれば嬉しく思います。