先輩から「態度がでかい」って言われました。別にそんなつもりないのに。
昔から何故か人に嫌われやすくて、どうやら僕の態度のせいらしいのですが、原因がわからず苦しんでいます。
相手を見下しているわけでもないのに、何故か態度が悪いと思われてしまうんですね?
そうなんです。尊敬している人にも何故かそう言われてしまいます。尊敬している気持ちがどうしてか伝わらないみたいで・・・
なるほど。もしかしたらそれは、割と今時の感覚なのかもしれませんね。うまく振る舞うコツが掴めれば、もっと相手にあなたのことが伝わりますよ。
「凄いとは思うけど、別にあの人のようになりたいとは思わない」
「凄いとは思うけどあの人についていきたいとも思わない」
そんな風に他人に対して尊敬できない人って実は少なくありません。
むしろそれで良いのです。
それは「個」が尊重される時代になったからこそ、「人は人、自分は自分」という価値観が強まった為とも言われています。
そもそも他人を尊敬するというのは、言葉で言うほど簡単なものでもないのです。
そうした姿勢が、周囲から低評価に繋がってしまうのはとても損なことなのです。
他人を尊敬しない人の心のメカニズム
他人を尊敬していなくても、決して見下しているわけではない
こんな人は、おそらく周囲からは「見下している」「傲慢」「不遜」「ドライ」と言った印象を持たれてしまっているのではないでしょうか?
しかし、けして誤解して欲しくないのが、彼らは決して人を見下しているわけではないということです。
「尊敬しない」=「人を見下している」と解釈するのはあまりにも短絡的と言わざるを得ません。
前述したように、現代は「個」が尊重される時代です。
なので、良くも悪くも他人と自分というものを明確に線引きしているだけなのです。
従来までは
「あの人はすごい、それに比べて自分はこんなにもできないことが多い。自分はあの人のようにはなれない、情けない、つまり成功もできない。」
と他人と自分を比較しては自己肯定感を下げてしまう人が多かったのです。
成功者が正しく、そこから遠い人ほど間違いという価値観。つまりは心の格差がつきやすい時代だったのです。
ですが今はどうでしょう。
そもそも生まれた場所も、育った環境も、考え方も価値観も、何もかもが異なる赤の他人と、自分が同じ結果になるはずがない。
比べることに意味はない。そう考えているのです。
つまり、尊敬されたいと思う人にとっては、尊敬のハードルが高くなった時代とも言えるのかもしれません。
そしてこの風潮は現在の若い世代を中心にどんどん強まっていくとされているのです。
「人は平等である」という考えがあるので露骨に他人を持ち上げない
特に、私自身もそうですが、安易に他人をランク分けしたり、格付けしたり、上下関係を無理やりつけようとする人を好みません。
元々虐めを受けたことのある経験者の皆さんは、特に共感できるところではないでしょうか?
理不尽に上下関係をつけられるのはとにかく不快なものなのです。
そんな彼らにとって、人とは平等であるべきという考えが強いのは言うまでもりません。
「人と人は支え合って生きている」という有名な言葉がありますが、これはつまり、人は一人では完璧になれないという意味でもあります。
だからこそ人には得意、不得意があり、それを補い合うチームが必要なのです。
自分にできないことは他人が、他人にできないことは自分ができる。
人間関係において、平等という言葉を極論まで換言すると、この価値観に行き着くのです。
なので、単純にすごいと思う他人が目の前にいたとしても、その人にも欠点があり、おそらくその人にできないことの中には自分ができることがあるはず。
そう考えれば、安易に他人を引き上げ、自分を引き下げるような評価は下さないものなのです。
他人を尊敬できない人というのは、安易に他人を高くも低くもみない人、つまり、誰でも平等になろうと考える人でもあるのです。
他人を認めることが怖い。他人を尊敬できない人は防衛本能が高い。
これは私見ですが、様々な人と会話していると、相手を認めることが自分の価値を下げることだと誤解している人が多いように思えます。
「他人を認めないのはプライドが高い」という方もいますが、厳密にはそれも少し違います。
プライドとは、本来自分の培ってきたものや、行動によって得られた成果に対して、自分を誇りに思う気持ち、尊ぶ気持ちのことです。
なので、けして他人の評価と比較して得る感情ではないのです。
ですが、他人を認めることで、自分が劣っていることを自覚してしまうかもしれない。
そう言った誤った自己評価から、なかなか相手を認めることができないケースもあります。
尊敬とは「相手を認めること」
これまでの話から、「無理に尊敬しなくてもいい」と考えてしまう方は訂正しておきましょう。
いかなる場合でも他人を尊ぶ真摯な気持ちとは大切なものです。でなければ良好な関係は築けないのですから。
では尊敬するというのはどういうことか、それは一言で言って「相手の良いところをありのままを認めること」と言えるのです。
重要なのは、自分との比較から相手を持ち上げてはいけないということです。
私はこんなに劣っているのに、あの人はあんなにも優秀だ!と自分を必要以上に過小評価して相手を過大評価する状態。これは率直に言って不健全な「尊敬」です。
そうではなく、あの人にできないことで私にしかできないことがあるはず。
でも私にはできないことも、あの人は「あんなことも」「こんなことも」できるんだ、すごい!
自分にできないことができるんだ、すごい!
というふうに、あくまでも自分と相手は同じ人間であり、基本的には対等な存在であることを認識した上で、相手の良いところをそのまま認め、ときに言葉や態度で表現する、これが健全な尊敬なのです。
「あの人のようになりたい」「あの人についていきたい」と考えるのは、尊敬ではなく「憧れ」という表現に近いのかもしれません。
時に必要以上に態度で示さなければ、ふてくされる人もいますが、それはただ承認欲求が強いだけなので、過度に付き合う必要はありません。
先にも前述したように、自分のできないことをできている人というのは、素直に「凄い、素敵だ」と思いませんか?
その気持ちを持つ、表現することが「尊敬」なのではないでしょうか。
心から尊敬できない時は、スキルとしての「尊敬」姿勢を持つ
ここまでの説明で、それでもやはり尊敬すると言うことの意味がイマイチ腑に落ちない・・・
そんな方には、スキルとしての「尊敬」を身につけることをお勧めします。
つまり、感情的に尊敬することが難しい人には、必要最低限の場に限り、論理的にその演出をしましょうということです。
以下に説明する4つのことを忘れずに実行できれば、少なくとも相手からマイナスなイメージを持たれることを避けることができるかもしれません。
スキル①:礼儀
これはスキルというよりは、社会人であれば誰もが持っていなければならない基本姿勢です。
どんな時も、相手を不快にさせない挨拶を心がけたり、何かしてもらったら必ずお礼を言うなど、必要最低限の礼儀のことです。
特に挨拶すら返さないのはもはや論外ですが、挨拶されても、目も合わせずに雑に反応していませんか?
上司にはしっかりと挨拶するのに、家族や友人、同僚や後輩など、慣れた人には適当な返事になりやすいものです。
なぜ、慣れた人ほど適当な挨拶になりやすいのか?
これは、その人のことをしっかり認知しなくても、関係性が大きく崩れないであろうという、安心感があるからなんですね。
一方で上司や、大切なクライアントなど、自分からしっかり認知しておかないと、相手も自分を認知してくれない、そんな不安定な相手には、危機感から認知しようとします。
しかしどんな親しい間柄にも礼儀は欠かしてはいけません。
雑な対応を日常的に受けた人は、「私はきっとこの人にとって大した存在じゃないんだ」と思い、あなたから認められているという感覚がなくなってしまいます。
安心から、相手に適当な対応をしていると、相手はどんどんあなたから離れていってしまいます。
親しい間柄だからこそ、些細な挨拶一つ、雑にしてはいけないのです。
スキル②:恩を忘れない
これも当たり前ですが、何かをしてもらったら必ず感謝の姿勢を示しましょう。
物理的な恩は勿論のこと、何かを指導してもらったなどの相手があなたに割いた時間に対しても感謝を忘れてはいけません。
本来自分のことに使用することができたはずの時間を、あなただけのために使ってくれたことは、何事にも変え難いプレゼントであると考えてみましょう。
時間は不可逆的であるからこそ、価値が重いのです。
スキル③:節度ある態度を
「節度」というのは度を越した言動を抑え、何事も程よい状態を保つことを指します。
「親しい仲にも礼儀あり」と言う言葉があるように、どれだけ親しい間柄でも遠慮や相手との距離感を忘れてはいけません。
例え家族であっても、個々が持つ物理的・心理的なパーソナルスペースを冒してはいけません。
また、何でも許してもらえるからと安心して、なんでも相手にねだる行為はただのテイカー(搾取人)でしかありません。
人には人の好みの距離感というものがあります。それを超えて相手に踏み込んでいけば、「対等な関係」ではなくただの「無神経な人」になってしまいます。
まずは相手も「感情がある一人の人間」という前提を忘れずに関わりましょう。
家族や友人においても、他人より「ちょっとだけワガママが言える存在」程度に認知しておくのがお勧めです。
スキル④:義理を通す
義理とは人としてのあるべき物事の正しい筋道や道徳観念のことです。約束したことは守りましょう。裏切りは論外です。
真摯にあいてに向きあう姿勢を忘れてはいけません。
「行けたら行く」という言葉がありますが、これはあらかじめ約束を曖昧にし、結果行かないという行為ですね。
もっぱら、ほぼ絶対に来ないフラグ発言ですよね?
でもこのフラグ発言、例えノリであっても安易に多用しないことをお勧めします。
理由は、人は無意識下であ、約束守ってもらえなかったなと結果を重視するからです。
誘った▶︎行くと言われた▶︎でも結局来なかった
相手には最終的にこの事実だけが残ります。この時の軽いノリの感情などはあまりその後に残りません。
残るのは、約束が破られたという事実だけです。
これを軽く捉えている人が非常に多くいますが、このフラグ発言の積み重ねが、最終的に「あなたからあまり重要視されていない」という感情に発展してしまいます。
もし、あなたの周りに、こういうフラグ発言ばかりする人がいたとしたら、重要な約束をしたいと思いますか?
その人のことを大切にしたいと思いますか?
おそらく相当信頼関係が強い相手でない限り、ほとんどの人が思わないはずです。
従って、できない約束は初めから絶対にしないことをお勧めします。それが結果として、お互いの信頼を傷つけない最適解となるのです。
スキル⑤:共感と傾聴の姿勢で応じる
人の本質は自分が一番好きなことにあります。
もちろん例外はありません。自分が好きな会話をしている時が最も気持ち良いものなのです。
そんな自分の話に「うんうん」と笑顔で耳を傾け、時に「そうなんだぁ!それはすごいね!」と共感してくれる存在は何よりも心地よいものです。
それをあなたが相手に対して、してあげれば良いのです。
基本的には適度に相槌を打ち、ながらスマホはせずに「私はあなたの話を聞いていますよ」という意思表示ができれば良いのです。
相槌だけではわざとらしいので、「それでどうなったの?」など質問なども挟んでみると効果的です。
こう言った共感力と傾聴力は、本来女性が得意としていますが、今一度意識してみると良いでしょう。
こちらの記事も合わせて読んでいただくと、よりわかりやすく理解することができます。
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【解決!】人から悩み相談を受けたらどうすればいい?素人でもすぐ使えるカウンセリングのスキルを一部公開!
尊敬心を持つための行動:感謝してみる
腹の立つ相手というものは必ずいますよね?
とくに職場では上司や先輩と言った指導者と呼ばれる立場の人たちです。
普段からストレスを溜めさせられている分、感謝など1ミリもしたくないと思うのよく理解できます。
しかし、そんな彼らも、私たち一般人にとって感謝に値する面というのは必ずあるものです。
例えば、相談のメールを打ってみてください。相手はそれなりに考え、応じてくれますよね?
それは立場的にやって然るべき行為なのでしょうが、彼らにとってもそのメールを打つ時間や、あなたの悩みや質問に答えるために思考を巡らせる時間と手間がかかっているのです。
たかが数分の作業かもしれません。しかしそんな数分も、人にはけして戻らない貴重な時間であるのです。
少なくとも、あなたに使用した時間は、その瞬間あなたの為だけに使われた時間だということをよく理解してください。
こんな風に、「やってもらって当たり前」というものはないのです。
今日1日、自分が誰に、何をしてもらったのか、思い出してみましょう。
そして独り言でも構いません、「ありがとう」と口に出してみましょう。
そうして相手に小さな感謝を思うことで、自分がいかに多くの人に支えられて生きているのかを感じるきっかけになるはずです。
まとめ
いかがでしたか?
今回はなかなか他人を尊敬することができず、不遜な人間と誤解されがちな人に向けた内容をまとめました。
別に相手を尊敬していないわけではないのに、なぜか可愛がられない・・・そんな経験ありますよね。
そんなときは是非、今回の投稿を参考にしていただければと思います。
今回の投稿が、誤解されて歯痒い思いをしている読者の皆さんにとって、良好な人間関係の一助になれば嬉しく思います。