この間、アニメが好きだってこと話したら、彼女にフラれました。趣味の話を出すと、なんか引く人が多いんですよね。やっぱりヲタクだからでしょうか・・・?
アニメがお好きなんですね。私も大好きですよ。でも確かに、アニメが好きっていうと、なぜかあまり良い印象を持たれないこともあって、少し言い出しづらいですよね〜
そうなんですよ‼︎何がいけないんでしょうかね⁉︎
私はアニメの魅力に気づいていない人が多いのだと思います。アニメがこれだけ文化として根付いた日本ですら、アニメをただの娯楽と捉えている人は少なくありません。ですが、アニメは人によっては「教科書」と表現する人がいるくらい、学びが多いものなんです。
アニメーションと聞くと何故かあまり好印象に取られないことってありますよね?
そこでアニメが好きであることをあえて伏せる人もいるはず。
このブログのスローガンでもある「多彩な価値観は人生の財産」。
自分だけの価値観構築に必要な第3ステップでは、「自分の好きなものを否定しない・嫌いなものを肯定しない」という段階があります。
(参照:精神科セラピストが教える、自分だけの価値観作りで、人生をもっと楽しく自由に生きよう!5つのステップ。)
どのようなものも、自分の直感が選び取ったものは大切にしなければなりません。
自分が選んだものがアニメなら、その価値観は大切にしましょう。
今回はアニメを通じて、どのようなことを学び、人としての成長に繋がるのかを精神科のプロ目線で解説していきます。
アニメが学びになる理由6選
アニメを見る=原作者の価値観に触れる事
私は、アニメを含め、ドラマや映画など、作者が存在する作品にはある共通点があると思っています。
それが作者の価値観に触れることです。
アニメも人の手によって創作されたもの。
当然ですが、その作品には原作者の人間性や考え方、価値観などが色濃く反映されます。
これは読書にも同じ効果があります。
他者の作品に触れるということは、その作者の価値観に触れることになるのです。
幅広い価値観はなぜ必要なのか?
ストレスと戦う社会人の方であれば避けては通れない人間関係などの逆境。
多様な価値観は、その逆境を乗り越える時に大いに助けになるからです。
たった一つの価値観しか持たない・・・と言うことは、他の価値観を受け入れにくいと言うことです。
つまり逆境に立たされた時にも柔軟な考えができず、どんどん自分自身を追い込んでしまうわけです。
私はかねてより多様な価値観を持つよう促していますが、アニメーションもまた、効率的に他者の価値観に触れるものであると言うことを、まずは知っておきましょう。
キャラクターの言動にはお手本がいっぱい
アニメのキャラクターは、時として多くの名言や模範となる行動を残しています。
それはその作者が実体験から得た言葉かもしれません。実体験から得たストーリーかもしれない。
いずれにせよ、アニメの物語には、時として涙無くして語ることのできない名シーンやストーリーが数多く存在します。
アニメの世界では「神回」などと呼ばれるものです。
よく精神を病んでしまう人の特徴として、考え方が極端に狭いという共通点があります。
これは強いストレス下で、認知機能が一時的に低下するのもありますが、もともと柔軟な発想が苦手な人が多いのも特徴です。
そこでアニメには楽しく、様々な考えや価値観を知る要素がたくさん詰め込まれています。
例えば、私は某有名なバスケットボールアニメの最終話で、主人公チームに敗れた敵チームの監督が、メンバーにかけた言葉がとても印象的です
「負けたことがある・・・というのが、いつか大きな財産になる」
という言葉です。痺れました。刺さりました。刻まれました。
この言葉は今でも私の人生を支える偉大な名言です。
これはただ登場キャラクターが発した台詞ではありません。それを描いた原作者の考え方です。そしてこれは、気分や想像だけで手軽に湧き上がる言葉ではないと思っています。
作者の苦い実体験がある方こそ、生まれた名言だと思っています。
よく聞く話が、海外で日本のアニメが好きな外国人は、キャラクターの言動から日本人の気質を学んだという人が多いことです。
もちろん、キャラクターの中には自分の価値観と合わず、好きになれないものもあるでしょう。
ですがそう言ったキャラクターにもファンがつくのです。
つまり、そのキャラクターの外見はもちろん、人間性が好まれてるということです。
好きになるキャラクターによって、人の価値観は大きく分かれるのも面白いところです。
世の中にはこんなキャラに共感する人もいる。そうか、そういう考えの人もいるのか。という新しい発見になることは間違いありません。
最近のアニメはメッセージ性が高い
家族愛、友情、努力、勝利、等々・・・。私は昭和の古いアニメと比較し、平成になってから年代を経るにつれ、よりメッセージ性の高いアニメが多いように感じます。
戦争に政治、虐め、教育、ゲーム、個性の尊重に、差別、恋愛観、様々な人に刺さる内容が多く見られます。
ここしばらく人気の高い「巨人」をテーマにしたある空想上のアニメでは、主人公がいわゆる「ラストボス」になるまでの生涯を描いた作品になっていました。
キラキラとした正義の味方ではなく、あえて黒い敵の立場を描くという発想は、昔のアニメにはあまりありませんでした。
凶悪な人間、反社会的人間、そう言った人間が「差別」を通じてどのようにして出来上がるのか、その一端を垣間見ることができる作品だと、私は個人的に思いました。
もちろん、そこから何を学び取るのか、何を感じるのかは人それぞれですが、私にとってアニメとは、こうした自分の中に新たしい価値観を生むための、考えるきっかけをくれるものでもあります。
事実、普通に生きているだけでは身につかない価値観も、アニメを通じて得ることはたくさんありました。
アニメを通じて「将来お医者さんになりたい」など夢を実現する人もいたことでしょう。
時に大きく人生観すら変える。アニメーションには人を動かす魅力があるのだと、私は思っています。
フィクションだからこそ、表現の幅が広い
これはアニメーションならではと言えるでしょう。実際の人間では、演者が人である以上、限界がありますが、アニメにはそれがありません。
表現次第でどのようなシチュエーションも実現可能です。
アニメーションの良いところは、作者が伝えたいことを、最も理想の形で表現できるところにあります。
作画や音響などで見ている人を惹きつけつつも、インパクトのあるストーリーで最も大切なことを伝える。
人間のエピソード記憶にこれほどまでに残りやすいものはないと、個人的には思っています。
エピソード記憶とは「印象深い記憶」である。ここではそのように表現しておきましょう。
人の記憶に残りやすいよう、徹底した演出ができるのも、アニメーションの特徴です。
強引にでも見ている人の記憶にアプローチしてくるので、平凡なシーンではついつい見落としてしまうであろうキーワードも漏れなく拾うことができます。
日本アニメの高い画力が、美術センスを磨く!
これは人によってはあまりメリットに感じない人もいるのではないでしょうか?
しかし、普段仕事をするにあたって、この美術センスと言うものが問われる場面は皆無ではないのです。
なぜなら、2012年日本の有名な某自動車メーカーM社は車のデザインを一新しました。
主力となる全ての車種を、ある一つのコンセプトの元、デザインを統一したことで、性能に大きな変化がないにも関わらず、売り上げが爆発的に伸びたのです。
「車選びはデザインで決まる」・・・なんて言葉も聞いたことがありますが、まさしくその言葉を体現するかのような出来事だと、私は当時思いました。
それ以外にも日本の有名な日用品雑貨M社も同様、デザインを新たに一新しただけで売り上げが伸びました。
この風潮は、海外製品と日本製品を比較してもその差が浮かんで見えます。
海外製品は性能はそこそこですが、デザインの格好いいものが多いですよね。
部屋の外観など、デザイン性で選ぶ人も多いので、性能に拘らない人は見た目のオシャレさで家電を選ぶことだってあります。
このように、日本人には「見せる力」が欠けていると言う話を聞いたことがありますが、それだけデザイン性が商品の魅力や売り上げにつながっているという実態があることも事実なのです。
そこで、最近では新人研修や、社員の外部研修に美術館を取り入れる企業が増えているのです。
美術のセンスは美術館が良いでしょう。しかし、私はあえてアニメをお勧めします。
なぜなら、美術館はアニメ以上に馴染みが薄いからです。
今まで触れる機会がなかったものに、突然触れたとしても、絵画から何を得れば良いのかわからないからです。
その点、アニメは年々画力の高い作品が生まれていますし、絵の具などでは表現が難しいものでも簡単にできてしまいます。
何より楽しいです。アニメに興味がない人でも、見ればそれなりに楽しめるものですよね。
そう言った意味でも、美術センスを磨く上ではアニメが最適解であると、私は思っています。
ライティングスキル・語彙力が自然と身に付く
小説もアニメもそうですが、第三者に提供する文字作品というものは、往々にして国語力が必要になります。
作品に触れる人により伝わりやすく、感情を動かせる表現が必要だからです。
従って、アニメなどでも同様に、いかに視聴者や読者に言葉による表現でキャラクターの心情を伝えるかが重要になります。
私が知る限り、日本語の美しい言い回しや、いつも返答に困ったときの上手な返し方、今まで使用していた言葉の正しい意味など、よく文字に集中すると、新しい発見が非常に多く得られるのです。
私は昔、プレゼン資料を作成中も、上司からは散々「お前の文章は何が言いたいかわかりにくい」と罵倒されていました。
今も自信があるわけではありませんが、当時はさらに酷いものでした。
そんな私は、自分の国語力を伸ばすため、アニメからそのスキルを学べると気づいたのです。
特にお勧めなのが、アニメをそのまま小説にしたものです。
最近は小説からアニメ化されるものも多いのですが、同じ作品をアニメと小説、両方で楽しむことをお勧めします。
アニメでは映像などで表現がよりわかりやすくなっていますが、小説では文字のみでその情景が表現されています。
「なるほど、ああいうシーンを文字でこんな風に表現できるのか」と非常に勉強になるのです。
自分の頭にあるものを、文字に起こすライティングスキル。
これは副業時代の今には欠かせないスキルと言えるでしょう。
わたしは、そんなライティングスキルを是非アニメから学ぶことをお勧めします。
アニメーションは創造性・想像性が養われる
アニメはフィクション。つまり創作物であり現実ではありません。
しかしなぜ、日本という国でこれだけアニメという創作物が発展したか、ご存知ですか?
脳の論理的な機能が発展したとされる欧米人と比較し、日本人は感情的な機能が発展した脳構造だと言われています。
つまり、感受性に富んだ民族で合ったからこそ、様々な刺激からインスピレーションを受け、形にすることができたわけです。
日本人の特徴がより生かされる形で発展したのがアニメーションだったわけです。
前述したように、アニメは完全なる創造物です。
作画の美しさやストーリーなど、芸術性やメッセージ性が強く、これらは原作者の想像力なくしてはあり得ないのです。
そんなアニメに影響を受けた人は少なくないでしょう。インターネットでは独自の漫画やアニメーション、小説などを投稿する人も多くいます。
出発はアニメの影響である人は多いと思います。
「自分だったらこうするのに」と言った発想は、創造性の始まりとも言えるでしょう。
私の周りにいる斬新なアイディアやメンタルコントロールが上手な友人・知人には、アニメが好きという人が多くいます。
私同様に、特定のキャラクターの名言に助けられた、生き様に憧れている、など架空の自分物であるにも関わらず、リアルの社会生活で生かしているのです。
創造性・想像性とは、よりクリエイティブな仕事をする上で必要不可欠な要素でしょう。
そう言った意味でも、アニメを通じて遊び心を養うのは、決して無駄ではないのです。
原作者を知ると、そのアニメの本当の価値が見えてくる!
「巨人」をテーマにした某人気アニメの作者であるI氏は、幼少期から父親に反対されながらも漫画を描き続けていたといいます。
サッカークラブにも所属はしていましたが、その時抱いた劣等感がのちに「巨人と人間」の絶対的な優劣関係を生むのに大きく影響したといいます。
また、格闘技好きと言うのも、漫画に色濃く反映されたとか。
このように、作者の生い立ちを垣間見ることで、見えてくる学びがあります。
私はこの作者の生い立ちから、「好きなことを継続する大切さ」を学びました。
親ですら味方ではなかった環境下で、それでも漫画を描き続けることができたのは、一重に「好きで仕方なかったから」だと私は思っています。
それ以外に続けられる理由は思い浮かびません。
作者は自身のネガティブな部分も、ポジティブな部分も、全て含めて自分の「好き」に注ぎ込み、一つの大作を作り上げました。
他ならぬI氏だからこそ、出来上がった名作だと私は感じています。
世の中にはコンプレックスや劣等感など、人に明かすことができないものを誰もが持っています。
多くの人にとって、それは常に「ネガティブなもの」として付き合ってきたことでしょう。
しかしI氏はどうでしょうか?
ネガティブな感情ですら、作品に取り入れることで、ポジティブ面×ネガティブ面×好きな事という相乗効果を生み出しました。
短所は他人のために生かしてこそ長所となる。それと同じように、ネガティブは好きなことに生かしてこそ、味方になるのだと学ぶことができるのではないでしょうか。
アニメの楽しみ方は、こうした原作者の人間性という側面からも、楽しむことができるのです。
まとめ
いかがでしたか?今回はアニメが好きだけど、恥ずかしくて周囲に言えない・・・そんな人に、胸を張ってアニメが好きだと言えるよう、アニメから人が何を学び取ることができるのかを専門知識を交えて綴りました。
私も以前は同じようにアニメが趣味であることを伏せていた時期がありましたが、自分の好きなものを自分で否定するってとても辛いものですよね?
自分の好きなものを思う存分リスペクトして、自分の言葉で他人にプレゼンできたら格好いいと私は思います。
今回の投稿が、アニメ好きにはその後押しに、「アニメーションはただの娯楽」と思っている人にも是非目を止めていただき、少しでも興味関心をもち、学びの一助になれば嬉しく思います。